■新聞記事から
『朝日新聞』2015年3月2日(日)の記事
卑弥呼の鏡?三角縁神獣鏡
「中国で発見」の論文
邪馬台国の女王・卑弥呼がもらったとも言われ、製作地を巡り論争が続く謎の鏡・三角縁神獣鏡(注参照)これと同じ型式の鏡が中国河南省の洛陽市で見つかったとする論文が、地元の研究誌に掲載された。
現地の研究者、執筆
論文を書いたのは河南省在住のコレクターで研究者でもある王趁意さん。王さんは鏡について「2009年ごろ、当時、洛陽最大の骨董(こっとう)市で、市郊外の白馬寺付近の農民から譲り受けた」と説明する。正確な出土地点はわからないという。
鏡は直径18.3センチ厚さ0.5センチ三角縁神獣鏡としてはやや小ぶりで、内側に西王母(せいおうぼ)と東王父(とうおうふ)という神仙や霊獣、外側にノコギリの刃のような鋸歯文(きょしもん)と二重の波状の模様を巡らせる。
洛陽市は中国の三国時代に魏の都があった。歴史書「魏志倭人伝」は、239年に魏の皇帝が倭(日本)を治める邪馬台国の女王・卑弥呼に「銅鏡百枚」を与えたと記している。日本では、100枚の鏡は三角縁神獣鏡とみる意見が多かったが、中国から1枚も出土していないため、疑問が呈されてきた。今回の発見はこの論争だけでなく、邪馬台国の所在地論争にも影響を与える可能性が大きい。
明治大の大塚初重名誉教授は「写真を見ただけだが、三角縁神獣鏡に間違いない。まだ1面だけなので、さらに見つかるかどうか注意深く見守っていく必要かある」と話している。(塚本和人)
独特の文様確認
今回発見された「三角縁神獣鏡」の最大の特徴は、今まで中国の鏡では確認されていなかったような「笠松文様」がある点だ。三角縁神獣鏡独特のもので、王さんは。「外側の鋸歯文も日本の三角縁神獣鏡の典型的な特徴の一つ」と主張する。実物を見た河南省博物院の張鍇生さんも「複数の研究者が実物を見たが、贋作(がんさく)などではない」と話す。
また、写真を見た大阪市立大の岸本直文准教授は「小さくて、外側に櫛歯文帯(くしはもんたい)がないのは独特だが、分類すれば三角縁神獣鏡以外の何ものでもない」。早稲田大の車崎正彦講師も日本で出たら、誰もが疑うことなく、三角縁神獣鏡だと言うと思う」と認める。
三角縁神獣鏡の製作地については、中国の魏、日本国内の2説が対立してきた。今回の発見は前者の「魏鏡説」を強く後押しする。
一方、菅谷文則・奈良県立橿原考古学研究所長は「これで三角縁神獣鏡が中国で1面も出ていないとは言えなくなるが、典型的な三角縁神獣鏡とは大きさや文様構成に違う点もある。この1面だけで、日本で出土する三角縁神獣鏡が中国で大量に作られたと考えるのは早計では」と話す。
三角縁神獣鏡は近畿地方を中心に出土することから、魏鏡説をとる研究者らは、その分布が、邪馬台国が畿内にあったことを裏付ける証拠と考えてきた。しかし、卑弥呼がもらった銅鏡については「三角縁神獣鏡ではなく後漢鏡」とみる研究者も少なくない。
学界も百家争鳴状態で、簡単に結論が出る状況にはないが、今回の発見が議論を進める材料になることは間違いなさそうだ。(編集委員・宮代栄一編集委員・今井邦彦)
(新聞には写真もあるが当HPでは省略)
新聞掲載の注:三角縁神獣鏡
古墳に副葬された鏡の一つで、縁部の断面が三角形を呈することからこの名がある。背面に神仙や霊獣の模様があるのが特徴。中には中国・魏の年号である「景初3(239)年」が入ったものもある。日本では500枚以上出土しているが、これまで中国本土で1枚も出てこなかったことから、国産の鏡と見る研究者が多い。
新聞に対するコメント:
普通このような記事をまとめるときに、せめて雑誌の名前くらいは示すものであるが、「地元の研究誌に掲載された」とあるだけである。
誰か疑問に思っている人が図書館で調べたいと思っても最初の手がかりが与えられない。
この雑誌は『中原文物』の2014版である。右上図に表紙掲載。
不思議なことに、2010年版の『中原文物』(右図に表紙掲載)にも2014版と同じようなことが記載されている。
2015年3月2日(日)の『朝日新聞』の記事で、「2009年ごろ、当時、洛陽最大の骨董市で、市郊外の白馬寺付近の農民から譲り受けた」と説明する。しかし、この鏡について、2010年の雑誌『中原文物』に書かれていない。このような重要な発見なのに何故、2010年版の『中原文物』に書かれなかったのだろうか?
また、王趁意氏は2011年に本も出版しており下記のようなことを書いているが、この本にも今回の鏡は書かれていない。
王趁意著『中原蔵鏡聚英』(中国・中州古籍出版社2011年刊)[右下図に表紙掲載]
「事実上、ここ数年のあいだに、洛陽を中心とする調査探究により、陸続として、後漢晩期から、三国・西晋早期にいたる三角縁神獣鏡、三角縁竜虎仏飾鏡、三角縁笠松文(安本註。笠松文は、傘松紋とも書かれ、書き方が、人によって異なる)神獣鏡、そして、この、面に帯で境をした欄をもつ三角縁神獣鏡など、十余面の銅鏡が、出現している。」
・中国では土の中からの遺物としての銅鏡が3000枚近く多くある。(下図参照、クリックすると大きくなります)
王仲殊氏(中国を代表する考古学者、中国の社会科学院考古学研究所の所長などをされた)は次のように述べている。
「中国にあって、魏都の所在地洛陽はもとより、北方の各地において、大量の銅鏡が古墳から発掘さたにもかかわらず、三角縁神獣鏡らしきものは、一面も出土していないということである。」(『三角縁神獣鏡』学生社、1992年刊)
つまり、出所がはっきりしている出土遺物では中国から三角縁神獣鏡は出てこないと言っているのである。骨董屋から入手したものは対象ではない。
・2007年の『朝日新聞』の記事に今回と同じようなことが書いてある(下記参照)。
『朝日新聞』2007年1月24日(水)朝刊の記事
「中国で発見」に疑問も
”卑弥呼の鏡”三角縁神獣鏡
定義・分類 研究者間の認識にズレ
(上)洛陽で見つかったといわれる神獣鏡(下)鏡の下方に配された神獣の文様=いずれも河南省鄭州市で、青山芳久撮影
このように『朝日新聞』に既に書いてあるということは、今回の鏡は新発見ではないことになる。
・『朝日新聞』2015年3月2日(日)の記事に対するインターネットの反応
①眉につばしなければならないのは、それがたった一枚で、中国の骨董市で?農民から?譲ってもらった?という話だろう。これでは一級考古資料にはなれない。
②入手経路も証明できるのか? 譲ってもらったのなら領収書もなかろう。そもそも中国のどこの、どの遺跡から出てきたものか、証明できるのか?
③この中国人研究家は、第二の藤原(藤村新一の誤りとみられる)か?第三の小保方か?であるのかも知れないのだから、大和説学者でさえ眉に唾しているに違いない。 それを突っ込まれないように「譲ってもらった」か?
④しかしまあ、よりによって、今世界中で最も疑わしく、いかがわしい中国の骨董屋での考古資料入手とは、日本人ならまず嘲笑するだろうものを出してきたか。
笑える。佐村河内二代目じゃないだろうね?
⑤昨年、安本美典が出版した著書『大炎上三角縁神獣鏡・・・』には、すでにこう書いてある。「これから続々と中国かも三角縁神獣鏡が出てくる?」
参考:『大炎上「三角縁神獣鏡=魏鏡説)』の記載
「「蔵鏡」と書名にあるから、看板にいつわりはないのであるが、どれもこれも、個人蔵、博物館蔵などのものばかりで、確実な考古学的発掘にもとづく出土品が、一面もない。現代の模造品がはいっているかもしれず、学問や科学の対象としては、あぶなくて手がだせない。」
「何度も同じような騒ぎがおき、また現代における鋳造品、あるいは、模造品によって騒ぎがおきることをふせぐために、つぎのような基準を、定めることが必要であるように思える。
①中国でも、わが国でも、すでに何百、何千という鏡が考古学的発掘によって出土しているのであるから、議論は確実な発掘出土品をもとにして行うことを、基本とすべきである。
②鏡にふくまれる鉛の同位体を測定すべきである
考古学者の樋口隆康氏による「三角縁神獣鏡」を規定する六の条件の第一
「径21~23センチ大のものがもっとも多く、まれに19センチや25センチのものがある。」
今回、王趁意氏提出の鏡の面径は、18.3センチ。
わが国出土の「三角縁神獣鏡」で、18.3センチ以下のものは、364面中4面であり、かなり小ぶりである。
笠松文様についても、下記のように微妙に違う。
今回のもの・・・二重
わが国出土のもの・・・三重
■贋作について
・『朝日新聞』2015年3月2日(日)の記事で、
「実物を見た河南省博物院の張鍇生さんも「複数の研究者が実物を見たが、贋作などではない」と話す。」とあるが、現実は専門家でも騙される贋作技術である。
鈴木勉著『「漢委奴国王」金印・誕生時空論』(雄山閣、2010年刊)
「今ひとつ、卑近な事例を報告しておきたい。筆者の友人が数年前に北京の骨董市で一面の人物車馬画像鏡を購(あがな)った。最初は日本円で5万円くらいに言われた鏡であったが、2度も3度もその店に出たり入ったりした彼の粘り強い交渉の結果、その現代鏡は約8,000円で購入することができた。同行した筆者も、それまでに幾面もの出土画像鏡を見ていたので、その人物画像鏡の出来のすばらしさ(出土画像鏡によく似ていること)がよく判った。帰国後、筆者は、その鏡を友人から預かり、当代の著名な古鏡の研究者が集まる研究会に持ち込んだ。失礼がないように言っておくのだが、研究者達の鑑識の力量を試そうとしたのではない。私は本当に彼らの研究者としての力を信頼している。ただ現代中国め鏡造り工人の技術水準を確かめたかったのである。いつの時代も、偽物作りは、その工人と識者の鑑識眼との凌ぎ合いであるからだ。
高名な研究者達にこの鏡を見てもらったが、誰一人として現代鏡だと指摘することはなかった。現代の研究者は、戦前の著名な研究者以上に数多く古文化財を観察調査している。これは間違いないことだ。さらに、彼らは確かな基準資料である出土資料を数多く見ている。であるから、現代の一流の研究者達が戦前の研究者に鑑識眼で劣ることはまずない。それほど、現代の研究者は良いものを沢山見ており、研究環境は戦前とは比べものにならない。
しかし、近現代の偽物作りの技術水準は、それを凌ぐ、と認めざるを得ない。筆者は、いかに高い鑑識眼を持つ権威者と言えども、肉眼では偽物作りに立ち向かうことは出来ないのではないかと、考えている。」
8,000円以下で、本ものと変わりのないものがつくれる。
・画文帯神獣鏡
梅原末治著『漢三国六朝紀年鏡図説』(桑名文星堂 1943年刊)
「近年に至って多数の贋作の関係品を生じ、それ等が年とともに巧妙の度を加えて、研究者を誤らせている実状にあるのは学術的見地からまことに寒心すべき事実と言わねばならぬ。」
「欠陥を克服せんとしていることは筆者の嘱目する実例が年とともに変化を示して、そのあるものの如きは相当の注意をもって臨んでいるはずの筆者自らが、その誤りを犯す程度にまで達している。」
このようなことを言っている梅原氏が、これは本物だといった画文帯神獣鏡(下図右)も贋作だと思われる。
この鏡は南斉建武五年(498年)の紀年鏡である。
南斉は中国南朝の一つの斉の国である。宋から禅譲(権力の座をゆずりうける)によって成立した国である。
『南斉書』「倭国伝」
「倭国は帯方の東南の大海の中にある。漢の末このかた女王を立てた。土俗のことはすでに前史に見える。建元元年(斉高帝、479)、進めて新たに使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・(慕韓)六国諸軍事、安東大将軍に除し、倭王武は鎮東大将軍と号した。」
この鏡は面径24.2センチで、中国出土の画文帯神獣鏡の面径の度数分布からみて、外れている(大きすぎる)
これと似た鏡が、前の図の左のようにホケノ山から出ている。また江田船山古墳からも出ている。もしこれが本物だとしたら、ホケノ山古墳は5世紀の古墳となってしまう。
しかし誰もこれを採用しない。それはこの鏡が出土遺物ではないからである。入手経路が分からないものは考古学の資料として扱われないのである。
中国は贋作の技術は高く、鏡の科学的研究の水準は高くない。
『考古資料大観6』(小学館2003年刊)をみると、そこには203面の鏡の、銅のなかにふくまれる鉛の同位体比の測定されている。
中国出土の鏡で中国人学者によって、鉛同位体比の測定されている例を、私(安本)は見たことがない。金属考古学者の新井宏氏も見ていないという。
■今回の王趁意氏提出鏡の銘文
王趁意氏提出鏡には下記のような銘文がある。
読み下し文では下記となる
「吾、明鏡を作るに、真に大いに好し。上に聖人東王父・西王母有り。獅子・辟邪、口に鉅(きょ)を銜(ふく)む。位は公卿(こうけい)に至り、子孫寿(いのちなが)からん。」
注:辟邪(へきじゃ)は想像上の獣の名
この銘文に近い日本出土の三角縁神獣鏡を5面選び、その文字を組み合わせれば、ほとんどの三角縁神獣鏡の銘文が出てくる。
今回の王趁意氏提出鏡の銘文について、31文字中30文字はこの組み合わせで出てくる。(下図参照、クリックすると大きくなります)
しかし、中国出土の鏡から同じことをやろうとしても出来ない。
華北出土の中国鏡で王趁意氏提出鏡の銘文にもっとも近いもの。
(1)西安地区出土のもので、9文字しか一致しない
他も8文字程度である。しかも神獣鏡ではない。
(下図参照、クリックすると大きくなります)
華中出土の中国鏡で王趁意氏提出鏡の銘文にもっとも近いもの。
(1)湖北省出土のもので、13文字しか一致しない
他も同程度である。図は省略。
日本の三角縁神獣鏡と一致するもの
(1)(2)京都府椿井大塚山古墳出土で27文字一致する。その他の例でも一致する文字数は多い。
(下図参照、クリックすると大きくなります)
これをまとめると、下図のグラフとなる。銘文の一致は日本の三角縁神獣鏡と一致率が高く、中国出土の鏡との一致率は低い。
まとめると、
今回の王趁意氏提出鏡は洛陽付近で出土した可能性は小さい。洛陽では、この種の銘文を持つものは、まったくといってよいほど出土していない。そもそも「神獣鏡」が出土していない。
わが国出土の「三角縁神獣鏡」の銘文は、長江流域系の鏡の銘文をとりいれながら、独自の進化をとげている。
今回の王趁意氏提出鏡がわが国出土の「三角縁神獣鏡」から出来ているとすれば・・・・考えられる合理的な結論は、この鏡は現代中国における偽造鏡であろうということである。「三角縁神獣鏡」の銘文と不自然に一致しすぎている。