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『古事記』『日本書紀』の神話

神話はつくられたのか?


『古事記』『日本書紀』の神話や、神武天皇以下の上代の記事について次のような見解がある。

神話などの記事は、歴史的な真実を中核とするものではなく、大和朝廷の有力者により、一定の意図によって、つくられた物語である。

すなわち、天皇が、日本の統一君主となったのちに、6世紀以降に、皇室が日本を統治するいわれを正当化しようとする意図にしたがって、つくられた物語りである。

このような立場に疑問を呈する安本美典教授の意見
  • 私たちの祖先は、奈良時代でさえ、小説を創作することができなかった。
    物語りの祖(おや)といわれる『竹取物語』ができるおよそ250年以上まえに、記紀に見えるような、長編の神話や、数々の伝説をつくりうる文化的な基盤が、存在しえたであろうか。

  • これほどの内容を持つ神話などが、つくりあげられたとするならば、それは、一つの国家的事業であったはずである。
    国史の編纂などについて、かなりのことを記している『日本書紀』が、そのような事業を思わせるなんの記事ものせていないのは、ふしぎである。

  • 『日本書紀』は、「一書に曰く」という形で、数多くの異伝をのせている。
    朝廷は、6世紀の中ごろに、この程度の神話を作り上げる力を持っていたとするならば、なぜ、そのつくりあげたものを正確に保持しえなかったのであろうか。

    6世紀の中ごろといえば、『日本書紀』の成立した720年までに、わずか、150年あまりしかない。そのあいだに、きわめて多くの異伝を生じたのは、なぜであろうか。

  • 記紀の神話が、九州に関係する数多くの記述をおこなっている。神話を、架空の物語りとみる立場からだけでは、その必然性をじゅうぶんに説明できない。

  • 『古事記』には、上巻(神話の巻)だけで、270人(のべ640人)もの人物が登場する。
    上巻の分量は文庫本60ページほど。1ページに平均10人以上もの人物があらわれ、ほとんど、名前の氾濫であるといってよい。

    これらの神々の名は、わが国の神話固有のもので、6世紀以後の人名とは、異質のものがあるように思われる。このことは、私たちの祖先が、おもに、人物に焦点をあてながら、世代から世代へと語りついできたことを思わせる。それは、聖書や古代諸民族がのこしている年代記に、神や王の系譜が、えんえんと述べられていることなどを、思いおこさせる。

    もし、『古事記』の神話などが、一定の政治的意図によってつくられたものであるならば、これほど多くの特異な人名をつくり、登場させるどのような必要があったのであろうか。これらの人名には、後代の氏族の祖先などではない、とくに本筋と関係のない人名さえ、きわめて多いのである。
伝承は、つくられたものではなく、遠い昔の史実を核として、各家につたわってきたのではないだろうか。



また、記紀の神話について、次のように説かれることもある

日常経験からみれば、非合理な事実らしくない物語りは、そのまま、非合理な物語りとして、認めるべきである。

非合理な物語りを、歴史的真実を仮定して理解しようとするのは、ものごとを強いて合理的に理解しようとする浅薄な合理主義というべきである。

これについての安本美典教授の見解

  • 心理学に、相貌性(そうぼうせい)知覚ということばがある。 川や風がささやきかけ、 木や草が笑いさざめいた と感ずるように、生命を持たない自然や道具(船、弓、食器など)の全体的印象を、感情的欲求 的にとらえ、それらが、人間と同じように心をもち、表情をあらわすと感ずる知覚である。子ど もや、原始人では、ごくふつうにみられる。

  • アニミズムということばもある。動くものは、すべて、命、または心をもっていると考 えるもので、これもやはり、子どもや原始人に、ふつうにみられるものである。
『古事記』や『日本書紀』の神話をよむと、相貌性知覚や、アニミズムを思わせる表現にしばしばであう。
記紀では神々が活躍する。その神々には、自然神もあれば、植物神もあり、動物神も あれぱ、人間神もある。
江戸後期の国学者、本居宣長ものべている。「人はいうまでもなく、鳥 獣木草のたぐい、海山など、そのほか、なんであろうと、つねならずすぐれた徳があって、おそ れ多いものをカミというのである。」

津田左右吉らの実証主義的文献批判学の立場から「非合理」とされている物語りのほとんどは、原始人にふつ うにみられる相貌性知覚や、アニミズム的な心性によって、じゅうぶんに説明できるものである。

歴史的な真実を中核とするものであっても、それが、原始時代からの伝承であるならば、この ような形をとることは、ありうるのである。

記紀の神話が、このよう性格の神々を主人公としているということは、逆に、これらの物語 りが、古くからの伝承であることを、雄弁に物語っている。

実証主義的文献批判学の立場からは、記紀の神話は、6世紀以後に、つくられたものであると される。
しかし、6世紀といえば、仁徳天皇の時代よりも、およそ100年ていどのちである。原初 的な神話を生むような時代は、じゅうぶんに過ぎていたと考えられる。
6世紀の宮廷人が、現代の心理学者と同じように、古代人の心理を研究したうえで、これらの物語りをつくったとは思えない。

古代からの伝承を、かなりなていど忠実に、記したとみるほうが、自然であろう。どこ の国でも、古い時代の歴史的真実は、このような形でつたわっているのである。

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