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虚妄の東北王朝
  歴史を贋造する人たち

虚妄の東北王朝 歴史を贋造する人たち -歴史贋造の証明-

『東日流外三郡史』をはじめとする厖大な偽書群、「和田家文書」や、偽の「遺跡・遺物」の数々が生み出されたプロセスを詳細に究明した労作。



本書「エピローグ」より
歴史は実証によって復元されるべきであって、創作されるべきではない。

「偽書」や、「偽の遺跡・遺物」が、どのように作られて行くか、それが、社会的にどのように認知されて行くか。
『東日流外三郡誌』事件は、そのようたことを学ぶための恰好の教材である。

今後も、たびたび偽書事件は、おきるであろう。

『東日流外三郡誌』事件を、可能なかぎり明らかにして、後世のために書き残しておくことは、事件の全容をほぼ知りえた私たちの責務である。


本書本文より一部抜粋
  事件の帰趨は見えてきた
1993年11月20日号の『毎日新聞』の夕刊の、「変光星」の欄に、つぎのような記事がのっている。
『東日流外三郡誌』といっても、むろん知らない人は知らない。『ツガルソトサソグンシ』と読むのである。

青森県津軽地方の古代・中世史を記述したとされる膨大な文献である。戦後間もない時期に発見されたという。古代、津軽の地に大和政権に対抗する東北王朝があったというのだから、本当なら古代史を書き換えることになる。

邪馬台国論争で大活躍する古田武彦氏が、これをホンモノとして氏独自の古代史論を展開した。
一方、現代に書かれた偽書とする見方も強い。偽書説の旗頭は邪馬台国論争でも古田氏の論敵である安本美典氏である。二人の論争はNHKテレピや『サンデー毎日』でも取り上げられた。

さて、その安本氏が編集長をしている『季刊邪馬台国』52号(梓書院)の一大特集「虚妄の偽作物『東日流外三郡誌』」は、なかなかに壮観である。

冒頭の谷川健一氏の一文は
『これだげ証拠をつきつけられると、これを偽書でないと反論することはまず不可能である』『文章も 文法も目茶苦茶で、拙劣、醜悪の限りをつくしている。偽書とLては五流の偽書、つまり最低の偽書である』
と記す。

昭和薬科大学の元助手で古田氏の下でこの『文書』を調べた人は、その文章を『望むらくは古田氏もまた反省悔悟して、その妄を棄て、すみやかに学問の正しきに復帰せんことを』と締めくくる。

どうやら、この真贋論争、『これでキマリ』 という思いを禁じえない。 (元古田ファン)

また、パソコソ通信NIFTYサーブにも、青森県大畑町の佐藤良宣氏のつぎのような文がの っている。
東日流外三郡誌の役割について

『東日流外三郡誌』は、前々からかなり怪しい資料と考えられてきました。そして、その証拠は枚挙にいとまがありません。
これについては、青森県の松田弘洲氏や産能大の安本美典氏などが著作のなかで述べておりますので、そちらを見てください。
これに対して、古田氏がいかに反論しようとも、もはや、多くの人を納得させることはできないでしょう。なにしろ、それが書かれた時代には存在しえない語句や記事がここまで多くなると、信じることは到底できません。

『東日流外三郡誌』にたとえどのような哲学的な『真実』が描かれていようとも、歴 史像を構築する史料としては使えません。これは、強者が弱者を抑圧し、葬り去るのではなく、 反則を犯した選手に退場を宣告することとおなじです。

ただ唯一の救いは、この偽書が世に出たために、津軽の十三湊が全国的に有名になったこと でしょう。また、まともな歴史の専門家は、この本が偽書であることを証明するために、血眼 になって研究を続けました。そういう意味で、『東日流外三郡誌』は歴史学の発展の為に貢献 した、と言えます。

それにしても、『東日流外三郡誌』が世にでたため起こった害悪は上に述べた貢献を押し流 すほど大きなものです。もはや、この本を史料として扱う者が出てこないことを望みます。 (1993年11月11日)

そうなのだ。古田武彦氏は、ともすれぱ、古田説への批判を、「強者が弱者を抑圧し、葬り去 る」ための議論であるかのようにおきかえてこられた。

しかし、事実はそうではなく、古田氏の議論は、科学や、論理や、学問という立場からみたぱあい、メチャクチャな「反則」のように見える議論が、多すぎるのだ。

事件の帰趨は、ようやく見えてきたようにみえる。

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