TOP>活動記録>講演会>第262回 | 一覧 | 次回 | 前回 | 戻る |
第262回 特別講演会
|
1.現代人の起源 |
■現代人の起源の概略
右図は数年前の「サイエンティフックアメリカン」の表紙である。おそらく、現在もっとも正確に復元したネアンデルタール人(左側)とクロマニヨン人で、彼らが遭遇した時の想像図である。 化石証拠や考古学的証拠から彼らがヨーロッパで共存していたことは明らかになっている。 30年ほど前まで、現世人類の起源は、猿人→原人→旧人→新人というように階段状に進化を遂げたとされていたがこの説は誤りである。 人類は700万年前に生まれ、20万年前にアフリカの中南部のどこかでホモ・サピエンスが生まれた。 現在の66億人の人類は1属1種でゲノムの多様性が非常に乏しい。それはホモ・サピエンスが人類史の上では、ごく最近に地上に現れたからである。森一つ違うとゲノムがかなり違っているゴリラやチンパンジーとかなり異なる。 肌の色、髪の毛などさまざまな違いがある人類集団だが、これらの違いはすべてこの1属1種に包含される。 ■ホモ・サピエンスの解剖学的な特徴
■現生人類(ホモ・サピエンス)の行動面の進化
■アフリカ以外のホモ・サピエンス イスラエルのスフール洞窟、カフゼー洞窟で早期ホモ・サピエンスが発掘された。約10万年前ごろのものと推定されている。 彼らが、現代人の祖先なのか? 最近の研究では「ノー」である。 なぜなら、5〜6万年前の中東全域ではネアンデルタール人の化石しか発見できなくなる。世界的に気候が悪化したため、イスラエル方面に進出したホモ・サピエンスはアフリカに戻ってしまったと推定されている。 6〜8万年前、ホモ・サピエンスは、再度、アフリカを出発した。アフリカ中南部の小さな集団が、何かをきっかけにして、ネアンデルタール人を避けるように紅海からアラビア半島を東に抜けるルートでふたたび移動した。 ポール・メラーズが、現代人の地域集団後とのミトコンドリアDNAを調査した結果では、アフリカの人々はミトコンドリアDNAの変化がもっとも大きく、アジア、ヨーロッパの順で変化が少なくなる。 別の研究者が、インド洋のミャンマー沖合いのアンダマン諸島、マレー半島のオラン・アスリーの人たちから抽出したミトコンドリアの分析により、この地域の人々が6.5万年前に形成されたDNAを持つことを発見した。 このことから、ポール・メラーズはこれらの集団がアフリカで形成され、東南アジアに移り、更にオーストラリアに移ったと考える。 すなわち、ホモ・サピエンスは7〜8万年前に紅海沿岸へ進出し、6万年前に東南アジアへ、さらに、4.5万年前にオーストラリアに到達した。いっぽう、ヨーロッパへは寒冷な気候が障壁となって進出が遅れ、4万年前になってようやくイベリア半島まで到達した。 ホモ・サピエンスがヨーロッパに到達した時には、まだネアンデルタール人が生きていた。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人がヨーロッパのどこかで遭遇したこともあったであろう。 ■洞窟壁画 ヨーロッパに向かったホモ・サピエンスであるクロマニヨン人は各地の洞窟に壁画を残している。 洞窟壁画は、スペインのアルタミラ洞窟で1897年に発見されたのが最初で、スペインの北部(アンダルシア)からフランス南部が圧倒的に多く、その他の地域は少ない。アフリカでは石灰岩洞窟が発展しなかったためか、洞窟壁画がまったくない。 洞窟壁画では人が描かれていることは稀で、動物の絵が多い。 ■現代人の遺伝子構成 現代人の遺伝子構成は、変異が少なく単純である。これは、進化の途中でボトルネック効果を経たと考えられている。 この原因の有力な候補として、スマトラ島のトバ山が7.3万年前ごろに噴火した際の巨大爆発が想定されている。 このときの噴出物は2800立方キロメートルといわれ、数年前に噴火したフィリピンのピナツボ火山の280倍もの量で、その影響で全地球的に平均気温が5℃ほど低下したとされる。 また、この大噴火は、温暖な「ステージ5」の間氷期から「ステージ4」の氷河期への引き金になったともいわれる。 イリノイ大学の考古学者・古気象学者のスタンリー・アンブローズは、この気候変動のためにホモ・サピエンスは数千人規模にまで激減したと推定した。 現代人の遺伝子の多様性の無さは、現世人類が数千人に激減したのち現在の66億人まで増えたことによるボトルネック(ピン首)効果であることは、ほぼ間違いないと考えられている。 ■極東、日本は? 沖縄で1.8万年前の港川人の人骨が発掘されている。旧石器が発掘されていないので、港川人は縄文人という説もあるが、縄文人よりも原始的な形状を備えている。 それ以前の人類、すなわち北京原人の子孫が日本にいたのかどうかはわからない。 旧石器捏造事件で、前期旧石器時代の遺跡はことごとく捏造と判定され、現在、確実なものは、岩手県の一カ所のみである。とても議論のできる状況ではない。 |
TOP>活動記録>講演会>第262回 | 一覧 | 上へ | 次回 | 前回 | 戻る |