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第215回
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1.古文書の記述 |
日本書紀 | 日向の高屋の山の上の陵 |
古事記 | 高千穂の山の西に在り。 |
延喜式 | 高屋山上陵、彦火火出見の尊、在日向国、無陵戸。 |
これを見ると、彦火火出見の墓は日向の高千穂の西の「高屋山上陵」と呼ばれた場所にあるようである。 ただし、日本書紀には、「日向の国」ではなく「日向」と記述。日向の地名は北九州など各地にある。また、高千穂という地名も複数あるので、陵墓所在地について議論になる。 日向の国は、昔は鹿児島と宮崎の両方を含んでいた。延喜式の成立時は日向と薩摩が既に別れていたが、延喜式は昔の記述を踏襲したようであり、薩摩の国も日向の中に入る。 延喜式には日向の国にあったとしか記載しておらず、他の陵墓の記載例と比べると漠然としている。また、墓守もいないとされているので、既にこのころ朝廷は陵墓の位置がわからなくなっていた可能性がある。 皇室が衰退したときに、幣帛を奉ることができなくなり、陵墓の場所がわからなくなってしまったのであろう。 |
2.伝承地 |
高屋山上陵の主な候補地は、11カ所ある。
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3.有力候補地 |
■ 溝辺町 大隅の国姶良(あひら)郡溝辺村大字麓
肥薩線の嘉例川駅の西約4キロ。宮内庁による陵墓指定地。学者の検討をもとに、明治天皇の「御裁可」で決定。 高千穂を霧島山とすれば、古事記の「高千穂の山の西にあり」の表記にあう。 「たかや」と言う地名がこのあたりに多数ある。彦火出見の尊の降誕の地が「高屋」と言ったので、それにちなんだのであろう。 ■ 大隅の国桑原郡の鹿児島神社 鹿児島神社は薩摩藩第一の大社でその祭神は彦火出見の尊である。これは彦火出見の尊がこのあたりに住んでいたことを示すものと考えられる。 鹿児島神社と邪馬台国 「続日本紀」の天平元年7月の条に「大隅の隼人、左須岐の君、夜麻等久久売の名」とある。「夜麻等」と「邪馬台」は「やまと」の「と」の発音が奈良時代の乙類の母音とほぼ正確に一致する。 これを根拠に邪馬台国を鹿児島県とする邪馬台国=南九州説をとる学者がいる。 邪馬台国=南九州説とすると「水行十日、陸行1月」の説明に都合がいい。 ■ 大隅の国肝属(きもつき)郡内之浦大字北方 江戸時代は大隅の国肝属(きもつき)郡の内之浦説が有力であった。 しかし、これは高千穂の南南東の方向であり「古事記」の表記と合わない。 |
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