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1.辛酉革命説
2.物部氏の東遷 3.現代の抹殺博士 | ||||
第218回 |
1.辛酉革命説 |
2.物部氏の東遷 |
3.現代の抹殺博士 |
■ 元祖抹殺博士 重野安繹(しげのやすつぐ) 幕末−明治時代の歴史学者。帝国大学教授となり、国史科を設置した。著書に「国史綜覧稿」などがある。古事記の研究など注目すべき業績もあるが、何人もの歴史上の人物について、架空の人物であるとしてその実在を否定したため、抹殺博士と呼ばれた。 ■ 現代の抹殺博士 津田左右吉以降、現代も抹殺博士がたくさんいる。たとえば、つぎの文章。 磐余彦(いわれひこ:神武天皇)の大倭(やまと)平定説話の前段階を構成する東征説話に、北九州の邪馬台国が東遷した事実が含まれていると主張する説もある。しかしこれは津田左右吉が早く指摘したように、皇室の祖先を説明するために、天孫が日向に降臨したという説話が設定されたために、これを実在する大和朝廷に結びつける必要から作為されたものであって、全く史実性を認めることはできない。しかしそれは単なる作為というよりは、むしろイスラエル民族のエジプト脱出の伝承に類似する一種の信仰ともいうべきものであろう。(中村一郎氏執筆)
こんな乱暴な論理で古い伝承をどんどん抹殺していってしまうと、そのうち「記紀の伝承は作り話だから読まなくて良い」ことになってしまう。このような傾向のせいか、最近の文献学者は、基本的なことで間違いを犯すことが多く不勉強が目立つ。聖徳太子の非実在論などは文献をよく読んでいない典型的な例に見える。 ■ 抹殺に異議あり かっては津田左右吉にかなり近い発言をされていた上田正昭氏は、最近の著書では次のように述べ、神話伝承は全くの作り事ではなく、なんらかの歴史的事実を背景にして成立したとの見解を示す。 なぜニニギノミコトは筑熱の日向に天孫降臨する必要があったのか。日本の天皇の祖先と言われる神日本磐余彦(『古事記』では神倭伊波礼昆古命)が大和で誕生して、大和から勢力をずっと拡大していくという建国神話の方が自然でしょう。それなのになぜ天孫は筑紫に降臨し、磐余彦すなわち神武天皇は九州から東征するのか。
神武天皇という人、カムヤマトイワレヒコという人が実在したかは別にして、神武記の記事はでたらめであるということを、先入観抜きに考えて果たしてそういえるのかというのは非常に問題ですよね。 長山名誉教授がここで取り上げた直木孝次郎氏のような考え方を「反映説」という。 『古事記』などの史書は後世の創作であるという前提にたって、古い天皇の伝承などをのちの時代のできごとの反映として説明し、古い天皇の実在を否定する。ただし、これによって史書が創作されたこと自体が証明されるわけではない。 「歴史は繰り返す」というように、歴史のなかで似たようなことはよくあることである。反映説の論理では、多くの古い事柄が新しい出来事の反映ということで説明が可能になる。 たとえば、「ナポレオンがロシアに攻め込んで立ち往生したのは、後の時代にヒトラーがロシアに攻め込んで立ち往生したことの反映である。」ということも云えてしまう。 この程度の説明で古い事柄を架空のこととして切り捨ててしまう論証の方法はとても妥当なものとは思えない。 ■ 考古学と文献学の関係 日本では、古墳などの年代が考古学者によってどんどん古くされる一方で、抹殺博士たちによって古い伝承が切り捨てられ国家権力の成立時期が新しくなるというおかしな現象が起きている。 中国では日本とは事情が違って、古い時代の権力の存在がどんどん明らかにされ、最近では夏王朝の実在はほぼ確実だといわれている。 文献学者が史記などの古い文献を研究して、ここだと思うところを考古学者が発掘する。文献と考古学が協力し、文献の内容を考古学が実証する仕組みがうまく機能しているようである。 我々もそうありたいものである。 |
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