■ 「位至三公鏡(いしさんこうきょう)」
魏から禅譲をうけて成立した晋(西晋)は、魏と同様に洛陽を都とした。西晋時代の洛陽の墓(洛陽晋墓)から出土する代表的な鏡が、「位至三公鏡」である。
中国の社会科学院考古研究所の所長であった考古学者・徐苹芳氏は、「位至三公鏡」について、つぎのようにのべる。
「位至三公鏡は、魏の時代(220〜265)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(265〜316)に大層流行しましたが、呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。
日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸出できなかったものと考えられます。」
「魏の時代にはいわゆる「位至三公鏡」が新たに出現しております。これは後漢の双頭竜鳳文鏡から変化してできたもので、西晋時代になって特に流行しました。
ちなみに、洛陽の西晋時代の墓から出土した沢山の銅鏡のうち、三分の一がこの位至三公鏡でして、数量ではベストワンです。
西晋の墓からは、そのほか様々な銅鏡が出土していますが、例えば内行花文鏡・変形獣首鏡・鳳鏡・方格規矩鏡・盤竜鏡などは、魏の時代の銅鏡と何ら違いはありません。
また洛陽を中心としてその周辺の地点、例えば河南省の陜(せん)県・鄭州市・安陽市・焦作市、また陳西省の西安などで行なわれた調査発掘の成果によりますと、後漢の末期から魏晋時代にかけての墓から出土します銅鏡は、洛陽出土のものと何ら変わるところがありません。」
(『三角縁神獣鏡の謎』角川書店、1985年刊)
「位至三公鏡」は、邪馬台国の時代(魏および晋の時代)に中国北部の魏、晋の地域でもっとも主流となった鏡であった。
日本で出土した「位至三公鏡」
番号 | 出土県名 | 遺跡名 | 遺跡所在地 | 面径(cm) |
1 | 福岡県 | 岩屋遺跡 | 北九州市若松区大字有毛、岩屋 | 9.9 |
2 | 福岡県 | 鋤崎古墳 | 福岡市西区今宿青木字鋤崎 | 11.8 |
3 | 福岡県 | 正恵古墳群 | 前原市大字井原 | 9.8 |
4 | 福岡県 | 鷺田山遺跡 | 筑紫野市武藏 | |
5 | 福岡県 | 犀川町山鹿2号石棺墓 | 京都郡犀川町山鹿字石ヶ坪茶園 |
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6 | 福岡県 | | 粕屋郡粕屋町酒殿 | |
7 | 福岡県 | | (伝)福岡市 | 8.3 |
8 | 佐賀県 | 志波屋六本松古墳群包含層 | 神崎郡神崎町大字志波屋字六本松 | 復元9.6 |
9 | 佐賀県 | 志波屋六本松古墳群包含層 | 神崎郡神崎町大字志波屋字六本松 | 復元9.2 |
10 | 佐賀県 | 町南遺跡SB103竪穴住居跡 | 三養基郡中原町大字原古河字町南、三本松 | 復元8.2 |
11 | 佐賀県 | 男女神社西南 | 佐賀郡大和町久留間横馬場 | |
12 | 佐賀県 | 谷口古墳 | 東松浦郡浜玉町大字谷口字立中876 | 8.1(8.2) |
13 | 大分県 | 臼塚古墳 | 臼杵市大字稲田字林、西平 | 9.5 |
14 | 香川県 | 是行谷古墳群(土窯古墳) | 大川郡長尾町大字東字是行谷 | 約10 |
15 | 山口県 | 赤妻古墳(丸山古墳) | 山口市下宇野令赤妻(山口市赤妻町) | 8.8 |
16 | 島根県 | 玉造築山古墳 | 八束郡玉湯町玉造 | 8(8.3) |
17 | 岡山県 | 随庵古墳 | 総社市西阿曽 | 9.8 |
18 | 大阪府 | カトンボ山古墳 | 堺市百舌鳥塚赤畑町5 | 8.1 |
19 | 大阪府 | 塔塚古墳(堺塔塚古墳) | 堺市浜寺本町 | |
20 | 大阪府 | 高月古墳(堺高月2号墳) | 堺市浜寺船尾町 | 8.4 |
21 | 大阪府 | 大鳳群伝出土 | 堺市(旧大鳳郡) | |
22 | 大阪府 | 大鳥塚古墳 | 藤井寺市古室2丁目 | 8.2 |
23 | 大阪府 | | 旧大阪(摂津・河内・和泉国) | 不明 |
24 | 三重県 | 筒野1号墳 | 一志郡嬉野町大字一志字筒野 | 13.6 |
25 | 神奈川県 | | 神奈川県内(東京国立博物館蔵) | 9.3 |
26 | | | 九州大学玉泉館蔵鏡 | 10 |
27 | | | 京都大学文学部蔵鏡4207 | |
28 | | | (伝)奈良県山辺郡都祁村出土鏡 | |
29 | | | 小倉文化財団蔵鏡(「君宜」「高官」銘) | |
日本で出土する「位至三公鏡」については、次のようなことがいえる。
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中国で、魏晋時代に行われた「位至三公鏡」は、わが国では、福岡県・佐賀県を中心とする北九州から出土している。奈良県からは、出土例がない。
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「位至三公鏡」よりも、形式的にまえの時代の鏡(その中に魏代の鏡が含まれているとみられる)も、北九州を中心に分布する。
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これらのことから、魏のあとをうけつぐ西晋の時代まで、鏡の出土分布からみて倭国の中心は北九州にあったとみられる。
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「位至三公鏡」よりも、形式的にも、出土状況もあとの時代の「三角縁神獣鏡」などは、畿内、とくに奈良県を中心に分布する。
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卑弥呼が使いをだしたころ、じっさいに、魏の洛陽ふきんで行われていた鏡をとりあげず、「三角縁神獣鏡」のように中国からの出土例もなく、また、文様も、中国の南方の呉系の鏡を「卑弥呼の鏡」とするのは、直接的・具体的な事実にもとづいているのではなく、観念的な論理操作にもとづいている。
■ 「蝙蝠鈕座内行花文鏡(こうもりちゅうざないこうかもんきょう)」
後漢が滅亡して魏が成立し、官営工房の尚方が再建されると、銅鏡の製作が始まった。この時代に鋳造された鏡は、内行花文鏡・獣首鏡など、すべて後漢以来の旧式鏡であった。
ただ、いくつかの鏡で文様が簡略化され、内行花文鏡では、鈕座(紐を通す穴)の周囲のスペード形の文様が蝙蝠の形になってしまった。これを「蝙蝠鈕座内行花文鏡」とよぶ。
「蝙蝠鈕座内行花文鏡」は魏の時代に出現したことがほぼ確かな鏡といえる。
日本で出土した「蝙蝠鈕座内行花文鏡」
番号 | 出土県名 | 遺跡名 | 遺跡所在地 | 面径(cm) |
1 | 福岡県 | 老司古墳第3号石室 | 福岡市南区老司571 | 12.8 |
2 | 福岡県 | 野方中原遺跡3号石棺墓 | 福岡市西区中原 | 復元10.6 |
3 | 福岡県 | 前田山遺跡 | 行橋市前田・検地 | 9.85 |
4 | 福岡県 | 三雲寺口遺跡2号石棺墓 | 前原市大字三雲字寺口U−17 | 15.5 |
5 | 福岡県 | 久原遺跡V−4号墳 | 宗像市大字久原ほか | 12.8 |
6 | 福岡県 | 潜塚古墳 | 大牟田市黄金町1−469 | 14 |
7 | 福岡県 | 御笠地区遺跡 | 筑紫野市大字阿支岐 | 14 |
8 | 福岡県 | 上大隈平塚古墳 | 粕屋郡粕屋町大字大隈 | 復元13.6 |
9 | 福岡県 | 神領2号墳 | 粕屋郡宇美町字西明寺 | 11.6 |
10 | 福岡県 | 谷頭遺跡 | 嘉穂郡頴田町西佐与 | 12.4 |
11 | 宮崎県 | 広島古墳群 | 宮崎市広島 | 13.3 |
12 | 山口県 | 朝田墳墓群3号方形台状墓 | 山口市大字朝田第U地区 | 復元10.2 |
13 | 島根県 | 岡田山1号墳 | 松江市大草町字岡田884−1 | 10.48 |
14 | 島根県 | | 八束郡大庭村大字有 | 12.88 |
15 | 広島県 | 石鎚山第2号古墳 | 福山市加茂町上加茂 | 12.8 |
16 | 愛媛県 | 東(春)宮山古墳 | 川之江市妻鳥町東(春)宮山 | 9.6以上 |
17 | 香川県 | 猫塚古墳 | 高松市鶴市町御殿37 | 14 |
18 | 兵庫県 | 白鷺山石棺墓 | 竜野市竜野町日山 | 復元10.2 |
19 | 兵庫県 | 東求女塚古墳 | 東灘区住吉富町1丁目 | 17.2 |
20 | 兵庫県 | 東求女塚古墳 | 東灘区住吉富町1丁目 | 16.4 |
21 | 大阪府 | 加美遺跡 | 大阪市加美東6丁目 | 復元12 |
22 | 和歌山県 | 円満寺古墳 | 有田市宮原町東 | 17.4 |
23 | 京都府 | 美納山王塚古墳 | 八幡市美納山 | 11.5 |
24 | 岐阜県 | 御岳神社古墳 | 可児郡可児町広見 | |
25 | 静岡県 | 銚子塚10号墳 | 磐田市寺谷 | 12.0 |
26 | 群馬県 | 軍配山古墳 | 佐波郡玉村町角淵 | |
「蝙蝠鈕座内行花文鏡」も、「位至三公鏡」とおなじく、福岡県から数多く出土するにもかかわらず、奈良県からは、出土例がない。
■ 十種類の魏晋鏡
卑弥呼が魏からもらった可能性が大きい鏡は、「蝙蝠鈕座内行花文鏡」や「位至三公鏡」をはじめとする当時中国北部で行われていた次の十種類の魏晋鏡である。
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蝙蝠鈕座内行花文鏡
- 位至三公鏡
- 双頭竜鳳文鏡
- 方格規矩鳥文鏡
- 漢鏡6期の方格規矩鏡
- 鳳鏡(きほうきょう)
- 獣首鏡
- 三角縁盤竜鏡を除く盤竜鏡
- 飛禽鏡
- 円圏鳥文鏡
三世紀から古墳時代までの遺跡での、これら
十種類の魏晋鏡の出土した数を見ると、奈良県からは2面しか出土していないのに、福岡県からは奈良県の20倍に近い37面が出土している。
このように北九州に集中する現象は、魏志倭人伝に記される
鉄族、鉄剣、鉄戈、鉄矛などと同じ傾向である。
中国の学者たちが声をそろえて、卑弥呼の鏡はこれら十種類の魏晋鏡だと言っているにもかかわらず、日本の考古学者は、これを一切無視して三角縁神獣鏡こそが卑弥呼の鏡と主張する。
そして、関西の新聞記者が、このような考古学者の発言を、ことあるたびにセンセーショナルに全国に流しているのが現状である。