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第253回
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1.津田左右吉説などの検討 |
■津田左右吉説
津田左右吉の学説は19世紀的文献批判学であり、疑わしい資料は採用せずというものである。しかし、19世紀的文献批判学では架空の物語と評されていたギリシャ神話であるが、神話を信じたアマチュアのシュリーマンによってトロイの遺跡が発見されたように、19世紀的文献批判学は真実に迫る方法としては大きな欠陥があることが分かってきている。 津田左右吉説を是とする時、『古事記』『日本書紀』を資料として使えないので、かなり無理を犯して論証をしなければならず、その結果、とんでもない空想的な説を主張する人が現れる。また、それに付和雷同するひとも多い。 『古事記』『日本書紀』を否定してしまうと、『魏志倭人伝』だけが資料と言っても過言ではない。そうすると、邪馬台国を探るために利用できる情報は次のような非常に限られたものになる。そして、この限定された情報から考えても、邪馬台国は九州とするしかない。
例えば、『魏志倭人伝』に倭人は鉄の鏃を使うと記された鉄鏃をみても、福岡県から398個も出るのに、奈良県からはたったの4個しか出土しない。 畿内説の考古学者はこのような事実を全く無視するのだから、非常に無理なロジックを作らざるを得ない。 客観的情報からスタートするのではなく、はじめに「畿内説」ありき、というところから始まる。大学や研究室には、「畿内説」でなければ残れない。 畿内説の牙城の京都大学は、近畿にある。かつての王城の地だ。そこを発掘すれば、当然、多くのものが出土する。地の利が与えられている。発言の機会も与えられやすい。マスコミを通じて、盛んに畿内説が喧伝されるのはこのような背景があるからである。 考古学だけでストーリーを書くのは難しい。英語でヒストリーというのは物語という意味も持っているのだが、津田左右吉説や考古学的邪馬台国説では、ストーリーなき古代史になってしまう。 ■古田武彦説 『東日流外三郡誌』事件の経験から、古田武彦氏の言うことは信頼できない。インチキ臭い。 その理由は、古田氏が自説の正しさを証明するために、偽物の古文書を作ろうとした事実があることである。 古田氏と安本先生が『東日流外三郡誌』の真贋論争で渡り合っていたころ、二人の論争をNHK「ナイトジャーナル」で見ていた詐欺師が、古田氏に「寛政年間の偽の古文書の製作」を持ちかけた。 古田氏は、「サンデー毎日」で、『東日流外三郡誌』の寛政年間に書かれた原本があり、真贋論争は、それを公開することで決着するといっていた。そこに詐欺師がつけ込んだのである。 なんと、古田氏は200万円を支払って詐欺師に「寛政年間の偽の古文書」の制作を依頼したのである。 偽物の作成を依頼してきた古田氏は表沙汰にできないと読んだ詐欺師は、200万円を着服したまま、古田氏から注文された「寛政年間の古文書」を作らなかった。古田氏は詐欺に引っかかったのである。 あろうことか、この詐欺師は、同じ話を安本先生にも持ちかけた。古田氏が寛政原本を公開した時に、同じものが安本先生の手元にもあることになり、古田氏が偽物を作ったことが露見する仕組みになるというのである。 犯罪心理学の専門家である安本先生は、詐欺師の意図を見抜き、電話の録音テープなど、証拠をそろえて弁護士とともに詐欺師を問いつめた結果、全貌を白状したという顛末であった。(上図) 古田氏は、最近、また寛政原本が出たと騒いでいる。懲りずにまたインチキをくり返しているのであろう。 古田氏は著書の中で次のようなことを記している。「私は愛国者である。愛国者は真実を望む。それゆえ虚偽の歴史像は許せない。」 こんな不正を企てたにもかかわらず、声高に「真実」という言葉を並べる人は、やはり信頼できない。 『東日流外三郡誌』は問題だが、古田氏の「九州王朝説」は別の話という人もいるが、これに対しては、安本先生は著書『虚妄の九州王朝』などで多くの推論の誤りや事実誤認を指摘しているので、興味ある人は読んでみて欲しい。 |
2.探求の構造 |
■ 真実を探求する方法
事実による説得の方法について考えるとき、「事実」と「意見」を分けて考える必要が ある。私たちは、日常の議論などで、事実と意見とをしばしば混同する。 古代史の議論をするときも、上述の鉄鏃の数などは、客観的に検証できる事実であり、事実の基づく議論が必須である。これを、「考え方が粗雑である」とか「なじまない」とかのように意見の表明によって議論するとおかしなことになってしまう。 ■ 演繹法と帰納法 科学上の結論にいたるロジックはこの二タイプに分けられる。
■ 公理についての考え方の変化
■ 安本先生の古代史についての仮説系 安本先生は、ヒルベルトの考え方に従って、古代史を考える上で次のような仮説系を置いている。この仮説から出発することで、従来のさまざまな議論に比べ、より多くのこと説明することができる。
西洋の中世のスコラ哲学にしても、天動説にして も、論理による説得の方法としては整ったものだった。 しかし、天動説の場合などのように、理屈はたしかにその通りだが、どこか違う、なにか腑に落ちないと感じる場合がある。 論理による説得は、よく注意しないと、このように、理路整然と間違う危険がある。 しかし、論理による方法はほかの方法に比べてきわめて体系的で構造的な知識をもたらすので、次のような手続きを踏んで、欠点を補いながらうまく活用するべきである。
■パラダイムの変換 現代の科学的方法論では、ヒルベルトの新公理主義の考え方をもとに、議論の出発点となる仮説の任意性が主張されている。 前提は何でも良いということなので、仮説の設定の仕方によって、ものの 見え方、考え方が大きく変わってしまうことがある。これを「パラダイムシフト」 という。 良い例が、天動説から地動説に変換したことである。 この転回に端を発して、科学的な概念の枠組みが大きく変わった。 見る世界や宇宙にはなんの変化もなかったが、われわれが宇宙をみるときの姿勢や考え方にとって、この転回はきわめて劇的であった。 |
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