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卑弥呼
卑弥呼は、魏志倭人伝に現れる邪馬台国の女王で、239年に魏に使者を送った。

卑弥呼は日本の古文献「古事記」、「日本書紀」の中から探すなら誰に当たるのか?

その候補者として有力なのはつぎの4人
候補者続柄
神功皇后第14代仲哀天皇の妃、第15代応神天皇の母
倭姫第11代垂仁天皇の皇女、日本武尊の叔母
倭迹迹日百襲姫第7代孝霊天皇の皇女、第10代崇神天皇の姑
天照大御神初代神武天皇の5代前
4人の候補の活躍年代の検討

239年に魏に使者を送ったのは、4人の候補のうちのだれか?

横軸に、「歴代の天皇の代」をとり、縦軸に、「天皇の没年」をとって、つぎのような「天皇の代と没年のグラフ」を描く。

天皇の代と没年 実線は、確実な歴史的事実。

卑弥呼は239年に魏に朝貢した。

第14代天皇の時代の神功皇后を卑弥呼とし、239年ごろに活躍したとすると、グラフをかなり下向きに曲げなければならない。

倭姫や、倭迹迹日百襲姫の場合も、239年頃の人とすると、同様にグラフを不自然に下向きに折り曲げることになる。

グラフの実戦の延長が、239年の横線と、もっとも自然に交差するのは、卑弥呼=天照大御神としたときである。


 
そのほかの観点からの、4人の候補の確認

たとえば、魏志倭人伝の記述から、次のようなポイントを見る。
卑弥呼の条件魏志倭人伝の記述
宗教的権威をそなえている。鬼道につかえ、よく衆を惑わす。
倭の女王であった。共に一女子をたてて王となす。
夫をもたなかった。年はすでに長大であるが、夫婿なし。
候補4人のうち、だれがもっとも条件を満たすか。

   
卑弥呼の条件神功皇后倭姫倭迹迹日
百襲姫
天照大御神
宗教的権威×
倭の女王××
夫なし。××
総合的に見ると、魏志倭人伝に描かれた卑弥呼の条件をもっともよく満たすのは、天照大御神である。
さらに、卑弥呼と天照大御神には、つぎのような類似点が見いだされる。
   
卑弥呼には、弟がいたことになっている。
天照大御神にも、須佐之男の命、月読の命という弟がいる。
『古事記』には、「天照大御神、高木神の命をもちて」などの記述がしばしばみられる。
すなわち、高木神は天照大御神といっしょに、しばしば、命令を下したりなどしている。

魏志倭人伝の、女王のことばを伝えるために出入りしている一人の男と、高木神と が符合するように思える。
天照大御神と、須佐之男の命の争いは、卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼との戦争ににている。
卑弥呼の没後、大きな塚がつくられ、男王がたったが国中が服さず、戦いがおこなわれ、宗女台与がたって国中がおさまったという話は、天照大御神が、天の岩戸に隠れ、ふたたびあらわれたという話と符合する。
魏志倭人伝には、人が死ぬと、他人は、歌舞飲酒につく、とある。

これは、天の岩戸のまえで、天の宇受売の命が、歌舞をし、諸神が、「歓喜び、笑い遊んだ」のと一致する。
卑弥呼=天照大御神とすると、それぞれ、邪馬台国と高天が原を統治していたので

   邪馬台国 = 高天の原

といえることになる。



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