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天皇の活躍年代



天皇の活躍年代の検証へのアプローチ
天皇一代平均在位年数約十年説によると、古代の天皇の平均在位年数は約10年である。




古代の天皇が、実際に活躍していた年代を知るには、存在が確実な天皇から出発して、 一代10年、一代10年と、天皇の系譜をもとに、代によるはしごを古代へむけてのぼっていけぱよい。

第31代の用明天皇は、2年ほど在位し、586年には活躍していたことが確実な天皇である。

用明天皇の活躍年代586年を起点として、一代10年づつ古代にさかのぼれば、各天皇の大略の活躍年代がえられる。


古代の天皇の実在性
各天皇の活躍年代にせまる前に、古代の天皇の実在性の問題を、はっきりさせる必要がある。

戦後の日本古代史学界では、津田左右吉氏流の文献批判学の立場に立ち、『古事記』『日本書紀』の伝える初代の神武天皇から、第九代の開化天皇までの九代の天皇は、実在しなかったとする説がさかんである。

安本先生は、津田左右吉らのような、古代の天皇の抹殺説、非実在説は、合理的、客観的根拠をもたないと考えている。

たとえば、古代の諸天皇の非実在説では、「第二代の綏靖天皇から第九代の開化天皇ま での名前が、後世的である」ことを、天皇の存在否定の理由にあげる。

しかし、これとは逆に、これらの天皇の名前は、非常に古いものだという根拠を示して、このような主張にたいして、容易に反論することができる。

また、古代史家、直木孝次郎氏は、『古事記』には、帝紀的 部分(皇室の系図的な記事)だけがあって、旧辞的部分(事蹟についての物語)を全く欠いていることを根拠として、机上でつくりあげた、綏靖天皇以下八代の天皇の系譜を、神武天皇と、崇神天皇との間にはめこんだとする。

これも、「天皇は実在しなかったはずだ」という前提条件のもとに、恣意的に理由をならべているだけで、この主張は、まったく非論理的であることを示すことができる。
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古代天皇の実在を示す四つの積極的根拠
天皇の非実在説は、『古事記』『日本書紀』などの、古文献の分析にもとづいている。

いっぽう、天皇の実在説の立場からも、『古事記』『日本書紀』などの「文献的根拠」にもとづいて、つぎのような、古代の天皇の実在を積極的に支持する根拠をあげることができる。 (安本美典著『新版・卑弥呼の謎』)
  1. 『古事記』『日本書紀』には、第一代神武天皇〜第九代開化天皇までの諸天皇は、「師木(磯城)の県主波江(はえ)の女」など、在地豪族出身の娘と結婚することが多かったと記されてい る。これにたいし、時代があとの天皇になる ほど、「他の天皇の皇女」や、「応神天皇の皇子、稚淳毛二岐(わかぬけふたまた)の皇子の女」などのような、皇族の娘との結婚が多くなる。もし、古い時代の天皇が、六、七世紀ごろに、机上でつくられたものであるならは、古い時代の天皇の皇妃なども、六、七世紀の諸天皇の皇妃の出自にならってつくられるはずである。しかし、事実はそうなっていない。

  2. 『古事記』『日本書紀』には、第一代神武天皇から開化天皇までの都は、奈良県の葛城郡におかれることが多く、磯城郡はすくなく、奈良県(大和の国)以外には、存在しなかったと記されている。

    第10代崇神天皇〜第43代元明天皇までの都は、葛城郡には存在せず、磯城郡に多く、 奈良県以外もすくなくない。もし、第一代〜第九代の天皇がのちの時代につくられたものであるならぱ、都の所在も、架空につくられたとしなけれぱならない。とすれぱ、のちの時代の都の所在にならってつくられるはずである(初期の天皇非実在論者は、初期の天皇の名前が、のちの時代の天皇の名にならって つくられたとした)。しかし、そうはなっていない。初期の天皇の都の多くは、後代に例をみない葛城にあったとされている。

  3. 都についていえたと同じようなことが、陵墓の所在地についてもいえる。後代の天皇の陵墓は、添郡や磯城郡にかなり存在しているのに、初期の天皇の陵墓は、添郡や磯城郡 には、ほとんど存在しない。

  4. 初期の諸天皇の陵墓は、山や、山の尾根や、岡や坂など、自然の丘陵の一部を利用し て築かれたような記述になっている。後代の天皇の陵墓は、「毛受(もず)の耳原(みみはら)」など、平地に築かれたとする例が多くなっている。これなどは、初期の古墳には、自然の丘陵の一部を利用したものが多いとされる考古学的な事実とも一致する。初期の天皇の陵墓についての記述が、後代につくられたものであるならば、 後代と同じく、原や野に陵墓が築かれたとする記述が多くなってもよさそうである。しか し、事実はそうなっていない。
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各天皇の活躍年代
安本先生は、以上のように、記紀に記録のある天皇は実在したとした上で、つぎのような原理にもとづき、古代の天皇の大略の活躍年代を推定した。
  1. 古代の天皇の平均在位年数を、約10年として、各天皇の大略の活躍年代を定める。

  2. 『日本書紀』には、歴代の古代天皇の在位年数が記されている。この在位年数には、延長があるとみられる。しかし、事蹟が多く、在位の長かった天皇は、伝承上も在位が長いように伝えられがちであろう。そこで、『日本書紀』の在位年数の長さに比例させて、一代の平均値10年に増減を加える。

  3. 『古事記』には、各天皇の在位年数は記されていないが、各天皇の享年は記されてい る。長命な天皇は、在位期間も比較的長く、事蹟も多くなリがちであろう。そこで、『古事記』に記されている享年の長さに比例させて、一代の平均在位年数に、増減を加える。

  4. 在位年数が長く、事蹟も多い天皇は、『古事記』『日本書紀』などに記されている記事の量も多くなるであろう。そこで、『古事記』『日本書紀』に記されている記事の量に比例させて、一代の平均在位年数に、増減を加える。
このような原理にもとづき、古代の各天皇の活躍時期の推定値を求めれば、図2のよう になる。 (推定法についてくわしくは、安本美典著『邪馬台国と卑弥呼の謎』潮文庫参照。)

図2の年代表によって、古代の天皇・豪族 の活躍年代の大略を推定することができる。


図2 諸天皇の推定年代




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年代のものさし
温度をはかるには温度計が必要なように、年代を客観的に議論するためには、年代をはかるものさしが必要である。

図2の年代表は、古代史を研究するさいの、絶対年代を測定する「ものさし」となりうる。

さまざまな考古学的な遺物や、文献の記録などと照合して、この年代表が、さまざまなことを矛盾なく説明できることを検証することにより、年代の「ものさし」としての信頼性や、精度がいっそう向上するものと思われる。

遺跡などから出土する土器は、その形式変化の分析などから、大略の編年が明らかにされており、遺跡の年代を推定するさいに重要な役割を果たしている。

しかし、土器については、
  • 土器だけでは、相対年代についての情報は得られるが、絶対年代は、わからないこと

  • 20〜30年程度の分解能しかないこと

  • 地域差があること

  • 土器の年代については、研究者によって、100年程度の見解の相違があること
など、土器だけで年代を決定するには限界があることを理解しなければならない。

図2の年代表など、絶対年代のよりどころとなりうる方法と併用して、古代史の編年に活用するべきである。
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