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連想ゲームでは、邪馬台国問題は解けない

(季刊邪馬台国109号 巻頭言)                      安本美典



季刊邪馬台国109号
2011年の1月23日(日)のNHKスペシャルで、「"邪馬台国"を掘る」という番組を放映していた。

纒向遺跡に比重をおいていたが、「邪馬台国=九州説」にも、あるていど配慮した内容ではあった。

しかし、纒向遺跡から出土した2765個の桃の種を、道教と結びつけ、さらに卑弥呼の鬼道に結び つけ、祭祀と結びつけ……などという内容に、かなりな時間をさいていたのは、どうにも、いただけない。

それは、つぎのような理由による。
  • 『魏志倭人伝』には、「桃の種」のことなど記されていない。

    あるいは、土器のことなども記されていない。

    纒向遺跡から、魚の骨や、シカやイノシシの骨などが、まとまって出土したという。

    しかし、それらのことも、『魏志倭人伝』には、記されていない。

    『魏志倭人伝』に記されている、魏の時代のものであることが確実な、中国北方系の「鏡」や、「矛」や、「鉄の鏃」や、「絹」や、「勾玉」などは、纒向遺跡からは出土していない。あるいは、出土しても、 北九州にくらべ、圧倒的にすくない。

    纒向遺跡からは、情況証拠が出土するばかりで、直接証拠の出土がいちじるしくとぼしい。

  • 本誌107号で特集したように、箸墓古墳、東田(ひがいだ)大塚古墳など、纒向遺跡群から出土した桃の核(種の固い部分)を、炭素14年代法で測定すると、四世紀を中心とするような年代がえられる。

    つまり、卑弥呼の時代と、およそ、百年の違いがある。

    纒向遺跡からでた三千個近くもの桃の種についても、たとえば炭素14年代法によって、年代を測定 して、卑弥呼の時代のものであるということを、実証することが先決ではないか。しかし、そうい う形になっていない。

  • 纒向遺跡は、『魏志倭人伝』に結びつけて考えるよりも、『日本書紀』と照らしあわせて考えるほう がよいように思える。『日本書紀』は、崇神天皇の時代に、箸墓古墳を「大市(おおち)」に造ったと記している。

    すなわち箸墓古墳を築造したころ、この地には「市」があったのである。桃の種や魚の骨、シカや イノシシの骨などは、お祭りのために用いられたものではなく、「市」にもってこられたものの残留 物や、廃棄物であった可能性もある。

    あるいは、つぎのようにも考えられる。

    纒向遺跡出土の大きな建物は、番組でも触れていたように、『魏志倭人伝』の卑弥呼の「宮室」など の記述にあわないところがある。

    建物は、「市」に付属する施設、たとえば、のちの律令時代にみられるような「市司(いちのつかさ)」のための施設(役所)や、売買のための施設(肆〔市倉〕。商品をならべておくところ)である可能性なども考えられよう。

    桃の種や魚の骨、シカやイノシシの骨などは、「市司」の役所で行なわれた宴会の廃棄物である可能性なども考えられる。

    さまざまな可能性が考えられるのに、すぐに卑弥呼と結びつけ、お祭りと結びつける。

    これは「解釈」論である。

    なんとでも「解釈」できる「解釈」論による「お祭り」さわぎではなく、もっと地に足のついた「実証」的な議論を切望したい。

    「邪馬台国"畿内説」には、『魏志倭人伝』にもとづく「実証」よりも、勝手な「解釈」が多すぎる。「解釈論」は、所詮「連想ゲーム」でしかない。

    思いつきのような「連想ゲーム」をくりかえして、邪馬台国問題が解けるはずがない。
考古学者の森浩一氏は、今年四月号の『歴史読本』の特集号「ここまでわかった!邪馬台国」にのせら れた「これから邪馬台国を学ぶ人へ」という文章の末尾でのべている。

1月23日に放映されたNHKスペシャル『"邪馬台国"を掘る』は20年ほど前のレベルで、見ていてがっかりした。問題点はいずれ指摘する。」  



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