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安本美典 |
メッセージ |
邪馬台国は、どこにあったと「思うか」 −「第5の権力」の台頭− (季刊邪馬台国111) |
「第五の権力」のインターネットは。知の民主化を進行させつつあり、「邪馬台国九州説」と「邪馬台国畿内説」だけをワードとして検索すれば70と30パーセントととなる。 | |
原子力村の論理と畿内説村の論理 (季刊邪馬台国110号) |
官や、学や、マスコミなど、一見巨大ともみえる組織がつくりだした蜃気楼のような、夢のような不確実な情報に、乗ってしまってはないだろうか? | |
連想ゲームでは、邪馬台国問題は解けない
(季刊邪馬台国109号) |
「邪馬台国"畿内説」には、『魏志倭人伝』に基づく「実証」よりも勝手な「解釈」が多すぎる。「解釈論」は所詮「連想ゲーム」でしかない。 | |
年代古きがゆえに尊からず、根拠があるをもって尊しとする (季刊邪馬台国108号) |
考古学者には、自分が関係した遺跡などの年代が古く持って行きたいと考える性癖があるが、このような誘惑に惑わされてはならない。 | |
学問と科学とを破壊するもの (季刊邪馬台国107号) |
実証されてない情報を流す学者も問題だが、十分な吟味もせずに報道するマスコミ人も問題である。 マスコミに遠慮せず物を言おう。 | |
歴博の「箸墓=卑弥呼の墓説」の学会での評価 (季刊邪馬台国106号) |
日本情報考古学会のシンポジウムで、歴博発表の内容がほとんど全面的に否定され、その方法も結論も、誤っていると判断された。 | |
「天動説」と「地動説」 (季刊邪馬台国105号) |
「畿内説」の方々は、はじめから、自説は正しいと決めこんで、自らが観測した事実だけをPRしている。他の見解にも注目すべきだ。 | |
考古学は、旧石器捏造事件から、なにも学ばなかったのか? (季刊邪馬台国104号) |
旧石器捏造事件は、きわめて大がかりで、「いくらなんでもまさか」と思わせる事件であった。その「まさか」が、またおきている。 | |
痩せ蛙の弁 (季刊邪馬台国103号) |
まったく証明になっていないのに、証明ができたと発表し報道する軽率さと異常さ。発表するほうも、報道するほうもどうかしている。 | |
朝日新聞社に問う (季刊邪馬台国102号) |
朝日新聞社の一記者の暴走に、考古学界や古代史学界が引きずりまわされている。 朝日新聞社は責任を自覚すべきだ。 | |
みずからのデータが、みずからを裏切っている (季刊邪馬台国101号) |
歴博主張の年代論は、検証を欠き、容易に反証のあげられるものとなってきている。 | |
考古学のために愁う (季刊邪馬台国100号) |
マスコミ宣伝に重きをおく結果、「検証」や「論理」がますます粗雑になる考古学に警鐘を鳴らす。 | |
古事記と日本書紀の景行天皇記事の違いはなぜ生じたか (季刊邪馬台国99号) |
『古事記』と『日本書紀』で景行天皇記事の内容が異なっているのは、『古事記』と『日本書紀』の成立の事情に深く関係している。 | |
天皇陵の盗掘 (季刊邪馬台国96号) |
天皇陵からも天皇陵以外の古墳からも墓碑が出土しない。日本には墓碑の文化がなかったのだろうか | |
真?偽?古代史なんでも鑑定団 (季刊邪馬台国95号) |
古代史は、権威主義、思いこみ、空想、意図的なインチキなど、壮大なニセモノが生育しやすい。十分注意深くなくてはならない。 | |
客観への道 (季刊邪馬台国94号) |
古代史の分野では、あまりにも主観的判断や独断が多い。数学や統計を活用して、客観的に歴史を分析する必要がある。 | |
「古代妄想」について (季刊邪馬台国93号) |
古代史については、思いこみや信念に基づく「古代妄想」とも呼ぶべき心理的、社会的病理現象にとらわれる傾向がある。 | |
古代史の練習帳 (季刊邪馬台国92号) |
古代史は文献学、考古学など様々な分野からの研究が必要である。一分野だけではなくできるだけ公平に見る練習が必要。 | |
「邪馬台国=畿内説」への疑問 (季刊邪馬台国91号) |
新聞は世論への影響力が強い。新聞は、基礎的なデータをきちんと押さえて、事実に照らし合わせて発表の検討をすべきである。 | |
新聞は、世論をミスリードしないで欲しい (季刊邪馬台国90号) |
新聞は世論への影響力が強い。新聞は、基礎的なデータをきちんと押さえて、事実に照らし合わせて発表の検討をすべきである。 | |
日本古代史探究のための「言語」 (季刊邪馬台国89号) |
「科学的」ということが必ずしも常に優れていることにはならないが、少なくとも日本古代史の探究は科学的に行いたいものである。 | |
金石文の解き方 (季刊邪馬台国88号) |
金石文は信念や着想の面白さによって読むべきではない。暗号解読学や統計学を活用し、客観性を持った解読法をとるべきである。 | |
現代の「抹殺博士」たち (季刊邪馬台国87号) |
昔、実在の人物の存在を次々に否定して抹殺博士と呼ばれた学者がいた。現在も出版不況の中で奇をてらった抹殺博士が闊歩する。 | |
日本古代史と西域 (季刊邪馬台国86号) |
正倉院の宝物の文様やデザインのルーツは、しばしば、西アジアにつながる。古代を見る目を時には西域にまで転じてみよう。 | |
考古学と新聞の「権威主義」 (季刊邪馬台国85号) |
考古学や、それを報道する新聞などにおいては、どうも、「権威主義」の色彩が強くなっている。その弊害が懸念される。 | |
「事実」にもとづいた回答を (季刊邪馬台国84号) |
朝日新聞に連載された「転換古代史」のほとんどが事実に基づいていない。公開質問状に事実によって答えてほしい。 | |
神武天皇の物語世界 (季刊邪馬台国83号) |
かって戦争鼓吹のために用いられたからといって、研究者がいつまでも神武天皇のミステリアスな世界を敬遠しているべきではない。 | |
全体への目くばりを (季刊邪馬台国82号) |
学問は、ある分野だけで孤立すると、かならず独断におちいる。常に全体を見わたして矛盾のない論理を展開する必要がある。 | |
好漢自重すべし (季刊邪馬台国81号) |
炭素14年代測定法は、今後、年代測定の中心的手法になりうる。それだけに、測定法としての疑問点を着実に解消することが肝要。 | |
日本考古学会への苦言 (季刊邪馬台国80号) |
論証なしでの断言や思いこみにもとづく強引な解釈がまかりとおり、権威主義のはびこる考古学会の体質を憂う。 | |
考古学における「論」と「証拠」 (季刊邪馬台国79号) |
出土した「もの」の、学問的検証が十分されずに、 証拠不十分の情報や非論理的結論が一人歩きしている考古学の現状を懸念。 | |
流行の学説を疑え (季刊邪馬台国78号) |
考古学の分野でも、付和雷同でなく、きっちりとしたデータにもとづく議論を。 | |
私の立場 | 専門家といえども、検証のできない議論が、しばしば行なわれる。実証性や科学性のある議論を歓迎する立場から、科学性のある議論の振興と普及につとめたい。 |
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