本誌本号でも、ややくわしく議論したところであるが、日本考古学の指導的立場にある方々の
発言が、しばしば、あまりにも粗雑である。
論証なしでの断言、思いこみにもとづく強引な解釈、根拠のない事実のマスコミ発表、…。
考古学のばあい、貴重なものが出土すれば、マスコミが大きくとりあげる。そのさい論証ぬき
で、自説をマスコミにとりあげさせることが、ほとんど習慣化しているのではないか。
また、杜会的に地位のある考古学者が、マスコミで自説を発表すると、多数の考古学者がほと
んど検討なしで、諾諾として従うという体制がしらずしらずのうちにできているようにみえる。
社会的に権威をもたない人の発言は、どのように証拠をあげようと、論拠を示そうと、排除、あ
るいは、無視される。
旧石器捏造事件は、藤村新一氏個人の資質にばかりもとづくものではない。それを見ぬけず、幻
想に幻想を重ねることになったのは、現在も、厳然と存在しつづけている考古学界のこのような
構造と関係があるようにみえる。
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