九州大学の考古学者、岩永省三氏が、その論文のなかで、つぎのようにのべておられる。
「歴博年代論が発表されて以来、甕棺という土器から実年代の手掛りが多い中国鏡などの遺物が出土し、日常的に弥生時代の実年代について考える習慣がある北部九州の研究者はともかくとして、主として関門海峡以東在住の学識も見識も十分な研究者たちがいとも簡単に歴博年代論に乗ってしまった状況を見るに付け、弥生時代実年代について真剣に考えてきた人が意外なほど少ないこと、考古学者にとって、自分が関係した遺跡や研究対象の年代が古く遡るのを望ましいこととしてほとんど無条件に受け容れてしまいたい誘惑に抗うのは困難であることを思い知らされるとともに、ナショナリズムに距離を取ってきた考古学者をも蝕むローカリズムの危うさを痛感させられた一年であった。」(「弥生時開始年代再考」『九
州大学総合研究博物館研究報告」No3、2005年)
また京都大学人文科学研究所の尾崎雄二郎氏は、本誌14号に、「古代里程記事における類ハッブル定律現象について」という、ややユーモラスな文章を書いておられる。
尾崎雄二郎氏は、およそ、つぎのようにのべる。
「天文学で、地球から離れているほど、星雲の遠ざかる速度も大きいという『ハッブルの定律」がある。昔の人にとっては、都から離れるほど、その里数は、感覚的にふえて行くものらしい。古代里程記事においては、類ハッブル現象が見られるのではないか。」
里程という「距離」ばかりではなく、「年代」についても、「類ハッブル定律現象」はみられるのではないか。
つまり、古い年代のことは、じっさいの古さよりも、ずっと古く感じられる、という現象である。
『日本書紀』の編纂者は、神武天皇の即位年を、西暦紀元前660年にもって行き、神功皇后を、卑弥呼の時代にあてはめている。
神武天皇や神功皇后伝承のなかに、かりに、邪馬台国の東遷や、日本と新羅や高句麗との争いの史実が、いくらか影を落しているとしても、その史実は、『日本書紀」の編者が考えたほど、古い時代のことではないであろう。
考古学者の森浩一氏も、本誌53号でのべておられる。
「最近は年代が、特に近畿の学者たちの年代が、古いほうへ向って一人歩きしている傾向がある。」
私たちはともすれば、年代を古くみたいという潜在的傾向や、欲求があるようである。私たちはそのことを、意識化する必要がある。歴史を科学するためには、確実な根拠があるばあい以外は、そのような誘惑に身をゆだねないという覚悟が必要なのではないか。
この世には誘惑が多い。
大勢に流されるな。酔うな。醒めよ。