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安本美典  

客観への道 

(季刊邪馬台国94号 巻頭言)



季刊邪馬台国94号
わが国で、進歩派とか、革新派とかいわれるものは、しばしば、「前近代的であること」の別名であった。「共産主義」が時代おくれになって、旧ソ連が崩壊したあとでも、マルクス主義を信奉してやまない人たちが、いまだに大学などに生息している。

「科学」は、正確な予測をしうる技術をもっていなければならない。この初速度で物体を宇宙に倣出すれば、人工衛星になるはずだ、という「予測」ができ、事実、それが可能になる、という種類のものでなければならない。

こうなるはずだ、と主張したものが、そうならないのであれば、たとえ、信念的には、いくら正しいと思えても、客観的根拠をもっていない可能性を考えてみる必要がある。

いわゆる「科学」を成立させた二本の大きな柱は、数字や数学を使って対象を記述していこうとする姿勢と、真か偽かの決定を、実験的事実や観測データなどにゆだねるという態度である。

数字や数学は、広い意味での、「言語」の一種である。推論を、客観的に、正確に、合理的に行なうことを可能にさせる。「科学の言語」として、日常言語よりもすぐれた面をもつ。

また、実験などは、真か偽かの決定を、主観的判断によって行なう余地を小さくさせる。追試や検証によって、他の人も、そうなるかどうかを、たしかめることができる。つまり、客観的な判断を行なうことが可能となる。

数字や数字を使うことも、実験を行なうことも、いずれも、主観的推論や、主観的判断を、できるだけさけ、客観的な結論をうることを、シャープに求めた人たちによって形づくられてきた。

今日、日本古代史の分野では、いまだに、あまりにも主観的な判断、あるいは、ほとんど独断、あるいは、思いこみといってよいものが、しばしば喧伝され、それが共同幻想にさえなっている。

ただ、それでも、『情報考古学』などの学会誌も発行され、数理文献学や計量文献学なども、すこしずつ成果をあげてきている。

自然科学の分野での実験が、古代史の分野での、考古学的データの分類統計や、文献学の分野での、用語や用例などの、統計的調査にあたるであろう。

主観的判断は、たしかに面白いことが多い。しかし、客観への道も、鋭くたずねる必要がある。

本誌は、客観への道をたずねることを、かなりな使命としている。



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