この号の特集は、「日本民族の起源」であって、「日本人の起源」ではない。
「日本人の起源」関係では、遺伝人類学関係の本が、多数刊行されている。
遺伝人類学は、日本人の起源について、多くの有益な情報をもたらした。
しかし、結局は、「日本列島には、アムール川流域→北海道からの南下などの北から、あるいは、朝鮮半島→九州からの北上や、東南アジア経由の南からなど、人々が流れこんできて、日本人を形成しました。」というような結論をもたらす形になっている。
もちろん、その結論は誤りではない。しかし、結論がすこし漠然としている。
例をあげてみよう。
いまから、二〇〇〇年ぐらいの時間が経過したのちに、北アメリカに住んでいる人々について、遺伝人類学的な調査を行なったとしよう。
結局は「北アメリカには、ヨーロッパからも、アジアからも、アフリカからも、多くの人々が流れこんできて、もとからの土着の人々とも混ざって、北アメリカ人を形成しました。」ということになるであろう。
しかし、そのころでも、おそらく北アメリカでは、英語の子孫語が主として行なわれており、「ヨーロッパのゲルマン文化系のイギリス文化が、北アメリカ民族の形成に、主流的な、あるいは決定的な影響をもたらしました。」という結論は動かないであろう。
つまり、
(1) 「民族」概念は、たんに生物学的な遺伝を中心とする概念ではない。「言語」「文化」などを含む概念である。
(2) 「二〇〇〇年」という年数は、しばしば数万年単位でものを考える遺伝人類学にとっては、ほんのみじかい期間にすぎない。しかし、「民族」の形成にあたっては、二〇〇〇年ぐらいの年数が、しばしば決定的な意味をもつ。
言語のばあいは、二言語間の近さの度合を測定することによって、その二言語が、何百年、何千年前ごろに
関係をもっていたかを、大まかには推定できる。しかし、遺伝人類学によったばあいは、二つの人類集団がいつごろ関係をもっていたかを、何百年前や、何千年前というていどのみじかい時間では、推定できないことが多い。
(3) かりに、「イギリスの植民地であったものが独立して、アメリカ合衆国が成立した」という歴史的事実を知らなくても、あるいは、文字による記録などがすべて失われても、アメリカ人が話している言語を分析すれば、イングランドで話されている言語と関係をもつことは、二〇〇〇年たっても、容易に、しかも確実に証明できる。
言語は、コミュニケーションの道具である。人間の遺伝的諸特徴とは異なり、しばしば、政治的、あるいは人口的に有力な、ある特定の言語が支配的になりやすい。人間の遺伝的諸特徴は、混合しやすいが、言語は、それにくらべれば混合の度合がずっとすくない。有力な言語の源は、遺伝的諸特徴にくらべて、ずっと容易に、ずっと確実にたどれる。
(4) ある特定の言語が、その社会で有力になる主要な理由としては、「政治」と「人口」の二つがあげられる。南アメリカ、中部アメリカのラテンアメリカでは、メキシコのスペイン語、ブラジルのポルトガル語のように、スペイン語やポルトガル語などが行なわれている。これは、はじめこの地域がスペインやポルトガルの植民地となり、比較的少数のスペイン人やポルトガル人が、「政治的」支配者となった結果にもとづく。
いっぽう、中国は、モンゴル民族のたてた国の元やツングース民族のたてた国の清の「政治的」支配下にあったことがあった。しかし、言語はモンゴル語やツングース語になることはなかった。中国民族(漢民族)の「人口」のほうが圧倒的に多く(大まかにいって、モンゴル族やツングース族二、三人に対し、中国民族千人ていどの割合)、かつ、中国民族は、「文化的」に高いものをもっていたからである。
『広辞苑』では、「人種」と「民族」とを、つぎのように説明している。
「人種(race) 人間の生物学的な特徴による区分単位。皮膚の色を始め頭髪・身長・頭の形・血液型などの形質
を総合して分類される。コーカソイド(類白色人種群)・モンゴロイド(類黄色人種群)・ネグロイド(類黒色人群)の三大人種群に分類されるが、オーストラロイド(類オーストラリア人種群)・カポイド(コイサン人種群[コイ族=ホッテントットとサン族=ブッシュマン])を加えた五大分類も行なわれている。」
「民族(nation) 文化の伝統を共有することによって歴史的に形成され、同族意識を持つ人々の集団。文化の中でも特に言語を共有することが重要視され、また宗教や生業形態が民族的な伝統となることも多い。」
この号は、おもに、後者の「民族」概念に重点をおいた特集である。
【内容】 特集:「日本民族の起源」 第1弾 倭人の家・鵜飼・弓・稲作 など
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