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考古学の曲がり角

(季刊邪馬台国119号 巻頭言)                      安本美典



季刊邪馬台国119号
 
  日本の考古学は、いま、大きな曲り角にきているようにみえる。
 本誌本号で、ややくわしくのべるように、現在の考古学のリーダー諸氏がのべている邪馬台国関係の言説は、科学的、学問的根拠があまりにもとぼしい。
 マスコミ宣伝ばかりが華やかで、ほとんどなんの根拠も示していないというべきである。
  なぜ、このようなことになったのか。
 考古学のリーダー諸氏が、無意識のうちに守ろうとしているのは、データが示す事実や真実なのではなく、できあがった体制(システム)がもたらす既得権益ではないのか。
 考古学の多くの発掘は、考古学者みずからの支出による資金によってまかなわれているわけではない。
 公的な資金にもとづいて発掘が行なわれているのである。
 その資金の獲得のためには、とにかく、邪馬台国と結びつけて、宣伝を華やかに行なったほうが有利、というわけだ。
 そうでなければ、データなどが示している事実を、なぜ直視しようとしないのか理解できない。そこでは、どんなにデータを示しても、無駄である。みずからの思いこみか、思いつきしかみないのであるから。
 いまは、マスコミを使えば、事実を隠蔽(いんぺい)できる時代ではないと思う。
 公的な機関や、名のある考古学者が発表しているからということで、きちんとした根拠をもっているか否かを検討せずに、記事などにする記者なども、不勉強でだらしがない。
 マスコミ界で、よくいわれていることばがある。
 「『犬が人を咬(か)んだ』では、ニュースにならない。『人が犬を咬んだ』ならばニュースになる。」  かくて、「人が犬を咬んだ」とひとたび報道されると、マスコミも、人の話も、「人が犬を咬んだ」の方向に流れてしまう。くりかえし、それが報道されて、「人が犬を咬む」頻度が、どれくらいかなどは、考慮しようとしない。
 古代史のばあい、「年代が古ければ古いほどニュースになる」。「年代が新しい」というのでは、ニュースにならない。
 かくて、旧石器捏造事件では、五十万年前、七十万年前と、ほとんど夢のように年代がくりあがっていった。
 そして、いま、箸墓など、古墳のはじまりの年代で、また、同じようなことをくりかえしている。
 マスコミで一度報道されると、いまだに「卑弥呼の墓という説もある」式の、紋切型の枕詞(まくらことば)のついたナンセンスな箸墓報道がくりかえされる、というようなことがおこる。
 箸墓古墳は、四世紀崇神天皇の時代の倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓である。卑弥呼の時代の、およそ百年後に築造されたものである。卑弥呼と箸墓とでは、時代が異なる。
 学校伝説・都市伝説と同じように、根拠のないマスコミ伝説が、幽霊のようにさまよいはじめる。
 そのような伝説は、纒向遺跡などへの調査資金の継続的獲得という、意識的・無意識的な考古学リーダー諸氏の、一定の意図から発生しているようにみえる。
 古代史問題だけに専念しているわけではない記者諸氏にくらべて、ややマニアックともいえる、いわゆるアマチュアの研究者のトップクラスの人々のレベルが高くなってきている。インターネット情報のほうが、誤りのない情報を伝えていることが、しばしばあるという状況になっている。
 事実は、頑固である。マスコミ宣伝だけで、このような事実無根、データ無視の状況が、いつまでも命脈をたもちうるとは、とても思えない。
 この号にのせる私たちの文章では、考古学のリーダー諸氏の言説が、データ的事実と合っていないことを、すこし詳しく根拠をあげてのべている。私たちの「意見」と合っていないことをのべているのではない。「事実」と合っていないことをのべているのである。
 読者は、すこし丁寧に検討してみていただきたい。
 データ的事実と合っていない「見解」を発表して、資金を獲得することは、データの捏造にかぎりなく近づく。

 幽霊のように根拠のない「学説」が、やたらにマスコミをにぎわすことになった理由は、ほかにもいくつかある。
 考古学の分野でも、データが厖大になりすぎたことである。他の分野と同じように、いわゆる「ビッグデータ」の時代に突入しつつあるのだ。
 インターネットで検索し、さらに諸報告書類にあたれば、えられる情報ははなはだビッグになっている。
 一つ一つの発掘じたいは精密に行なわれ、報告書の図面などは正確が期されているとしても、「ビッグデータを処理して、そこから適切な本質的情報をとりだすデーター・マイニングの方法」「ビッグデータの科学的処理法」が、考古学の分野では、なお十分に普及していない。
 日本情報考古学会という学会があり、それなりの啓蒙が行なわれているが、マスコミをにぎわす考古学のリーダー諸氏は、そのような動きには無頓着である。
 例を、いくつかあげよう。
 古代の動物の骨を、正確に復元し、その詳密を記録する。それじたいは重要なことである。
 しかし、それだけにとどまったのでは、「進化論」というストーリー性を提供する豊かさをもつ学説はでてこない。なんら構造をもった知識には、なりえない。
 構造をもたない精密な記述の集積だけでは、記憶の負担にたえかねることになる。  諸種の動物の骨を、時代順にならべ、地域差を考慮し、比較検討し、「帰納的に」ものを考え、一歩飛躍することによって、全体を統一的に説明、俯瞰(ふかん)しうる学説「進化論」はえられる。
 コンピュータ技術や、統計学・確率論などの発展は、そのような「帰納」を科学的に、全体的に行なう方法を教えてくれる。このような最近の「ビッグデータ」の処理法などに、考古学のリーダー諸氏は、あまりにも、注意を向けないという形になっている。
 とにかく、自説をマスコミ宣伝すれば、という思いにとりつかれているようにみえる。
 これに似たような状況が生じたことが、科学史上これまでに何度かあった。
 典型的な事例では、天体観測のデータが多く積み重ねられ、その結果観測事実と、バイブルにもとづく「天動説」との矛盾が大きくなってきた時代があった。
 西欧中世の教会勢力を、現代日本の考古学リーダー諸氏、マスコミ、地域おこしなどをはかる自治体などの、学界・マスコミ界・官界の癒着によって生じている壁になぞらえて考えれば、ガリレオが生きた西欧中世も、現代も、あまり変わりがないな、といっぽうでは思う。しかし、いっぽうで、インターネットなどをみれば、やはり現代は、昔とは違うな、とも思うのである。

 あまりにも、「考古学的方法」なるものにこだわり、他の科学と共通の方法、統計的方法、確率論的思考などを、とりいれようとしない。あるいは無視する。しかし、統計的方法などは、現代諸科学共通の基本的言語となっている。
 統計学的方法も、第二次大戦後、増山元三郎氏の『推計学の話』(1949年刊)、北川敏男氏の『統計学の認識』(1950年刊)などにより、いわゆるフィッシャー流の推測統計学(推計学)が、日本に紹介された。それまでの大量観測法に対し、標本抽出法による小標本理論、検定論、推定論などが常識化していった。
 そしてまた、コンピュータの発展にともない、多変量解析がさかんに行なわれるようになった。
 さらに、現在では、厖大なデータの蓄積にともない、パソコンなどから得られるビッグデータの処理の諸技術が発展してきている。
 たとえば、V・M・ショーンペルガーと、K・クキエ共著の『ビッグデータの正体−情報の産業革命が世界のすべてを変える−』(講談社、2013年刊)のなかでは、つぎのようにのべられている。
 「世の中にコンピュータが本格的に入ってきてから50年。データの蓄積が進み、これまででは考えられなかったようなことがいつ起こっても不思議ではない状況にある。かつて世界がこれはどの情報洪水に見舞われたことはないし、その情報量も日増しに拡大する一方だ。規模の変化は状態の変化につながる。そして、量的な変化は質的な変化をもたらす。」
 「ビッグデータは大変革の始まりを告げるものだ。望遠鏡の登場によって宇宙に対する認識が深まり、顕微鏡の発明によって細菌への理解が進んだように、厖大なデータを収集・分析する新技術のおかげで、これまでとはまったく思いもつかぬ方法で世の中を捉えられるようになる。」
 「個人への効果はとてつもなく大きいはずだ。確率や相関関係が重視される世の中では、専門知識の重みが薄れる。専門家が不要になるわけではないが、これからはデータが紡ぎだす。”ご託宣”との知恵比べになる。」
 「『データによる物事の判断は、人間の判断を補完し、ときに上回ることもある』。これがビッグデータの最大の衝撃だろう。そのような形が普通になれば、統計学者やデ ータアナリストはともかく、それ以外の分野のエキスパートは輝きを失うはずだ。」
  「世界を数量的に捉えて解き明かそうという人類の挑戦が始まった。その重要な第一歩となるのが、ビッグデータだ。かつては計測も蓄積も分析も共有も不可能だった物事が、次々にデータ化されていく。」
 「歴史を振り返れば、人類が残してきた素晴らしい業績の舞台裏で、我々は『物事を測る』という行為によって世界を支配してきた。正確さへの強いこだわりは13世紀半ばの欧州で始まった。ちょうど天文学者が時間・空間の正確な数量化に取り組んだ時代である。歴史家のアルフレッド・クロスビーの言葉を借りれば、『現実世界の測定』だ。ある現象を測定さえできれば、理解したも同然だった。その後、測定は、観察と解釈という科学的手法と結びついた。言い換えれば、数量化して記録し、再現性のある結果を提示する能力だ。ケルビン卿の通称で知られる物理学者ウィリアム・トムソンは、『測ることは知ること』と断言した。やがて測定は、権威の根拠になっていく。『知識は力なり』と説いたのは、哲学者フランシス・ベーコンだ。」
 「データに新たな意味を与えたのが数学だ。だから単に記録や検索にとどまらず、分析も可能になったのである。」「情報化社会という言葉が聞かれるようになって久しいが、ビッグデータは真の『情報化社会』の到来を意味する。ついにデータが主役になるのだ。我々が蓄積してきたデジタル情報は、ついに斬新な方法でまったく新たな用途に生かされ、そこから新しい価値が生まれるのである。」
 「ここまで列挙してきた、この膨大な成果にたどり着けた背景には、コンピュータのプロセッサーの高速化、メモリーの大容量化、ソフトウェアやアルゴリズムの高度化があるが、こうした道具立ては理由の1つに過ぎない。  もっと根本的な理由は、『膨大なデータを持てるようになったこと』に尽きる。世の中のさまざまな部分がデータ化されたおかげだ。人類は、コンピュータ革命のはるか前から世の中を数値化したいという野望を燃やしてきた。それがデジタルツールの登場で、データ化か一気に進んだ。」
 「我々は、新しいことを上手に、素早く、たくさん成し遂げる力を手に入れた。そこには、とてつもない価値を引き出す可能性が秘められており、新たな勝者と敗者を生み出すはずだ。データの価値の大半は、2次利用から生まれる。」
 「情報」そのものをカウントし、数量化し、ビッグデータをうまく利用する力を身につければ、パソコンが一台あれば、個人が、大組織にも対抗できる時代がきているのである。
 ところが、本誌本号でとりあげるように、考古学のリーダー諸氏の言説は、五十年以上まえの、小標本理論の段階にすら達していない。数量化の概念すらもっていないといってよい。
 その実態そのものを直視すべきである。
 他の分野の科学の進展に、およそ、無関心である。
 おそるべき唯我独尊主義である。
 考古学の分野で名のある先生が、マスコミで自信をもって発表しておられるのであるから、そうとうな根拠があるのであろうと思いがちである。
 しかし、事実は、ハダカの王様が、みずからの衣裳を世間に喧伝しているだけである。立派な衣裳などは、どこにもない。

 考古学的に、確実に邪馬台国の時代のものといえる遺跡・遺物は、奈良県からはほとんど出土していないとみられる。邪馬台国時代の奈良県は、「邪馬台国文化」の空白地帯、辺境であったとみられる。
 畿内説では奈良県の、のちの時代の遺跡・遺物の年代を、古くもちあげる努力をさかんに行ない、それをマスコミに発表することをくりかえしている。しかし、いずれも、きわめて不確実なものか、または、誤った解釈にもとづくものといえる。
 考古学のリーダー諸氏は、なんら証明されていない結論を、あたかも、すでに証明されているかのように、マスコミでくりかえし発表し、それによって、批判的意見や、反対派を封じこめようとする方法をもっぱらとっている。
 この方法は、旧石器捏造事件で大失敗したはずである。しかし、まったくこりる様子がない。この方法をくりかえす。
 この方法は、学問や科学を、大きく誤らせるものである。
 だれしも、得意、不得意はある。
 したがって、ふつう、専門家は、みずからの不得意な分野については、沈黙を守る。そのようにすべき義務があると思う。
 世間的名声のある人が、不案内な分野でリーダーぶりを発揮しては、世間を、ミスリードすることになる。

 また、考古学のリーダー諸氏は、しばしばのべる。
 「まず考古学の分野で、徹底的に考えて。文献などについての考察は、そのあとで。」 この考えは、しばしば『古事記』『日本書紀』などの古文献の情報を排除することにつながる。
 『古事記』『日本書紀』などの日本古文献のもたらす情報を排除することは、しばしば、それらの記す情報よりも、考古学者の思いつきや、思いこみを優先させることになる。
 しかし、古代と現代とでは、ものの発想じたいが大きく異ることがある。現在、あたりまえと思うことが、現代人流の独断になっていることが、しばしばありうる。古文献 をよく読んで、古代人の発想に慣れることは必要である。
 古文献の情報を排除することは、古代史の内容を、いちじるしく貧困にさせるものである。
 ときには、考古学者のえがく幻想としかいいようのない世界に、人々を迷いこませるものとなる。
 その幻想は、畿内説村のなかだけで、ガラパゴス島の動物のように進化したものである。
 『古事記』『日本書紀』をはじめとする古文献に記されている「伝承」は、古代史を考えるばあいの「仮説」や「ヒント」の宝庫である。それを捨てさることは、古代史の内容を、いちじるしく貧しくするものである。
 畿内説村では、古文献の記す「伝承」よりも、考古学者の思いつきや、思いこみという、あらたな現代発生の「神話」のほうをしばしば優先させている。「箸墓古墳=卑弥呼の墓説」や、大きな建物あとが出れば「卑弥呼の宮殿」といって騒ぐ、などは、その典型的な事例である。
 そこでは、『日本書紀』の記す「箸墓古墳は、(崇神天皇時代の)倭迹迹日百襲姫の墓である」という有力な情報や、纒向遺跡は、垂仁天皇の纒向の珠城(たまき)の宮や景行天皇の纒向の日代(ひしろ)の宮などの宮殿のすぐ近くであるという情報は、無視または軽視される。
 このような方法は、考古学の分野以外の人には、いちじるしく説得力を欠くものである。
 ギリシア、ローマの考古学や、聖書の考古学は、すべての考古学のはじまりであり、母胎であった。そして、その考古学は、神話、伝承といったものに、みちびかれたものであった。
 そのことを、忘れてはならない。
 稲荷山古墳出土の鉄剣銘文にしても、出雲からの大量の銅剣・銅矛・銅鐸の出土にしても、考古学の出土は、大きくみるとき『古事記』『日本書紀』に記されている内容を裏切っていない。むしろ、『古事記』『日本書紀』などが伝える情報が、大略において根拠のあることを、さし示しているようにみえる。
 古文献を放棄することは、羅針盤なく航海するようなものである。
 古代史の構築において、考古学は主人公たりえない。
 考古学のみで、歴史をくみたてることはできない。
 考古学は、「仮説」を肉づけする重要な情報を提供する。 そして、「仮説」が正しいか否かを判断するチェック機能をもつ。しかし、考古学は、基本的には、歴史を構成するばあいの補助学であるといえる。
 わが国では、歴史学の補助学であるものが、あまりに長く主人公としてふるまってきたのではないか。
 これ以上、考古学のリーダー諸氏のえがく幻想におつきあいして、そこに多額の公共の資金をつぎこむことには、強く異議を申しのべるべき段階に達している。
 エビデンス(科学的根拠)を示さずに、とにかくマスコミ宣伝して、という方法は、長い目で見たばあい、結局、考古学の信用を失わせる。
 マスコミ宣伝によって資金を獲得するという目的にもそわなくなる。逆効果をもたらすことになる。
 化粧品でも、学説でも。ただ宣伝によって売ればよいというものではないはずである。
 そのような方法には、ツケがくることを考えるべきである。

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