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編集体制の充実について

(季刊邪馬台国126号 巻頭言)                      安本美典


季刊邪馬台国126号

 本誌の創刊号が出たのは、1979年の7月のことである。すでに、40年近い歳月が流れている。
  現、梓書院会長の鈴木比嵯子さんの、「何か、社会的に意義のある仕事を」という志(こころざし)によって、創刊されたものであった。
  初代の編集長は、芥川賞作家の野呂邦暢氏(のろくにのぶ)[1937〜1980]であった。ところが、野呂邦暢氏は、本誌創刊の翌年の1980年の5月に、急逝される。42歳の若さであった。そのため、本誌の寄稿者の一人であった安本が、急遽、編集をお手つだいすることとなった。
  そして、安本は、1982年の冬号(1月刊)から、正式に、本誌の責任編集者の位置につくことになった。
  爾来、本号126号で、33年以上となる。
  今回、「季刊邪馬台国編纂委員会」を設置し、これまでの「個人」による編集から、「チーム」による編集へ、移行することとなった。
  このため、河村哲夫氏を委員長とする「編纂委員会」に加わっていただくこととなった。
  読者の方々の、長期間にわたるご愛読と、ご協力とに謝するとともに、今後とも本誌に、ご支持とご声援をいただければ幸いである。
  本誌が、新時代のニーズに応える形で、リニューアルされ、さらなる発展をとげるため、引き続き努力して参りたい。

 

 新たな飛躍に向けて                 河村哲夫
  この「季刊邪馬台国」は昭和54年(1979)7月に創刊され、今年で36年、来年の夏には130号を迎える。安本美典先生は11号から126号号まで、33年余の長きにわたって編集長として超人的なご努力をつづけられ、本誌は邪馬台国に関する総合雑誌として着実に歩みをつづけ、多くの成果を上げてきた。
  逆にいえば、本誌のこれまでの存続は、安本先生の個人的なご負担に過度に依存していたということである。
  しかしながら、本誌が今後とも着実に前進するためには、編集体制の整備が不可欠である。安本先生の個人的なご負担を軽減することが不可欠である。
  このような観点から、このたび「季刊邪馬台国編纂委員会」を設置することになった。
 特別顧問 安本美典
 委員長  河村哲夫
 副委員長 井上修一
 委員 内野勝弘・志村裕子・澤田康夫・高野文生

 ただし、この委員構成については、あくまでも現時点における暫定的なものであり、今後とも、多くの学問分野からの委員の選任および多角的な意見を頂戴するためのオブザーバー委員の選任などを検討したいと考えている。
  安本先生の超人的な才能とご努力を継承し、発展させるためには、組織化を図るしか道はない。チームプレーで対応するしか方法はない。
  そのようなことで、当分の間、編纂委員会の委員長として編集のお手伝いをさせていただくことになった。もとより浅学菲才の身ではあるが、本誌の創刊号以来の読者でもあり、本誌の編集方針については、自分なりに理解しているつもりである。
  さまざまな人材を発掘し、次の世代に着実に継承されるようなシステムを構築し、多くの読者に支えられながら、古代史に関する総合雑誌として本誌がさらに飛躍するために、微力を尽くさせていただきたい。
  そして、本誌創刊の原点であるプロとアマチュアとの橋渡しについて心配りをしてまいりたい。また、文献史学面での充実にも意を注ぎたいと考えている。
  どうか、皆様方の一層のご支援をお願い申し上げます。

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