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『朝日新聞』に紹介された「中国で発見」の「三角縁神獣鏡」は、現代の中国人の手になる「捏造鏡」だよ

(季刊邪馬台国125号 巻頭言)                      安本美典



季刊邪馬台国125号
 最近、本誌は、論争調が強くなっている。
しかし、本誌が、真に目的としているところは、論争に勝つことではない。
 真の目的は、論争を通じて、古代について「考える」材料を提供することである。
 最近の、とくに、考古学の分野では、証明をきちんと行なわず、とにかくマスコミに、ある立場による「見解」をうりこむといった方向に走りすぎている。
 蓄積された厖大なデータを、きちんと総合的に整理分析し、その結果にもとづいて古代史像を描くという方向に進んでいない。
  一つの鏡、わずかの資料に、かねてもっている「自説」を投影させる。それで、蓄積された資料の全体が示している傾向を、容易に否定できる、とする。このような論調が多すぎる。マスコミがとりあげれば、それで自説が証明されたと考える。考えずに、信じこませようとする方法である。本誌本号でとりあげる『朝日新聞』の記事も、その一例である。
 本年3月2日(月)の『朝日新聞』に、中国の洛陽の骨董市で、「三角縁神獣鏡」が、見つかったという記事がのっている。『三角縁神獣鏡』は、日本では500枚以上出土している。しかし、これまで中国本土で、1枚も出てこなかった。それが出てきた、という内容の記事である。
  しかし、この記事で紹介されている「三角縁神獣鏡」については、疑問があまりにも多すぎる。基本的には、ガセネタにもとづく記事と判断される。
 本誌編集部は、この鏡は、現代の中国人が捏造した鏡である、と判断する。
 そう判断する材料を、本誌本号で提供する。その材料を検討し、考えてほしい。

 マスコミで報道されていることも疑え。
 旧石器捏造事件で、こりたはずではなかったか。さらには第二次世界大戦中のマスコミ報道、大本営発表などに、痛い目にあい、大きな犠牲をはらったのではないか。
 古代史の分野では、本誌が、警鐘を鳴らしつづけなければならない事態が多すぎる。
  鏡については、すでに、中国・日本あわせて、8000面近い鏡が確実に出上している。その全体的傾向をよくみよ。
このたび、中国の骨董市からでてきた新発見の鏡なるものは、その全体的傾向とあっていない。
 この鏡について、本誌本号でのべる要点は、つぎのようなものである。
@ 「北中国」(このことばの定義は、本誌本号でくわしくのべる)では、すでに、『洛陽出土銅鏡』(中国・文物出版社刊、1988年刊)、『洛陽考古集成』[上、下](中国・北京図書館出版社、2007年刊)、『洛陽焼溝漢墓』(中国・科学出版社、1959年刊)、『南陽出土銅鏡』(中国・文物出版社、2010年刊)、『長安漢鏡』(中国・陜西(せんせい)人民出版社、2002年刊)、『千秋金鑑』(中国陜西出版集図三秦出版社、2012年刊)『歴代銅鏡文飾』(河北省出土の銅鏡についてまとめたもの。中国・河北美術出版社、1996年刊)、『吉林出土銅鏡』(中国・中国文物出版社、1990年刊)など、ほぼ確実な考古学的発掘による出上鏡についての報告書類が刊行されている。
 これらの報告書にのせられている出土鏡は、1500面を、確実にこえる。
 これら1500面以上の鏡のなかに、今回の新発見の鏡のような「文様(神獣鏡)」と、「銘文(わが国出土の三角縁神獣鏡の銘文と高い共通性がある)」をもつものは、一面も存在していない。
 このことは、もともと、古代の「北中国」の地には、このような鏡が、存在していなかったことを、強くさし示す。もし、あるていど存在したのなら、出土しないはずがない。発掘によっては、まったく出土しない種類の鏡が、洛陽の骨董市にだけ、時空をこえて、忽然と姿をあらわす。これは、一種の手品の類とみられる。
 このような古代の銅鏡が、この地域で、出土によって、「新発見」された可能性は、まずないといってよい。
 もともと、存在しなかった種類のものであるから、盗掘によって出土する可能性もまずない。

A 今回「新発見」の鏡は、洛陽の骨董市で譲り受けたもので、正確な出土地点は、わからないという。中国の骨董市で出る鏡の過半は、贋造品とみられる。
  中国全体では、2800面以上の鏡が、ほぼ確実な考古学的発掘によって出土している。いまどき、出土地不明の鏡によって議論しなければならない理由が不明である。

B 今回の「新発見」の鏡をもちだした王趁意(おうちんい)氏は、すでに2010年に発表した論文で、つぎのようにのべている。「事実上、ここ数年のあいだに、洛陽を中心とする調査研究により、すでに陸続(りくぞく)として、後漢晩期から、三国・西晋早期にいたる三角縁神獣鏡、三角縁竜虎仏飾鏡、三角縁笠松紋(編集部註。笠松紋は、傘松文とも書かれ、書き方が、人によって異なる)神獣鏡、そして、この、面に帯で境をした欄をもつ三角縁神獣鏡など、十余面の銅鏡が、出現している。」(『中原文物』2010年4期[総154期]。なお、「中原」は、洛陽地区の意味。)
 2010年の段階で、「陸続として」「出現している」のなら、今回の発見された鏡は、「新発見」でもなんでもないことになる。
  2010年の時点で、王趁意氏が示す「十余面の銅鏡」も、すべて、考古学的な発掘による出土品ではない。一級資料にもとづくものではない。
 出自の不明確なものをもとにして、「陸続として」などと記す王趁意氏は、中国でも、わが国でも、古代史研究家によくみられる強い「思いこみ」をもつタイプの人のようにみえる。そこでは、公平な判断が、行なわれているか否か、よく検討する必要がある。

C今回「新発見」の鏡は、2009年ごろに、入手したという。それならなぜ、王趣意氏は、2011年に刊行したみずからの著書『中原蔵鏡聚英』(中国・中州古藉出版社刊)のなかで、この鏡のことを、紹介しないのか。話が不自然である。今回「新発見」の鏡は、『中原蔵鏡聚英』などに対する批判をうけて、欠点を改善し、より日本出土の「三角縁神獣鏡」に近づけているようにみえるふしがある。

D 中国では、八千円以下の費用で、専門家がみても、まったく本物と区別のつかない贋作品をつくることが可能である。

E 「北中国」と「南中国」(このことばの定義も、本誌本号でのべる)とでは、鏡の文様の傾向や、銅原料などの特徴が異なる。「南中国」でも、すくなくとも、1300面以上の鏡が、考古学的発掘によって出土している。そのなかには、今回の鏡に近い文様(神獣鏡)と、銘文をもった鏡が、いくつか出土している。
  王趁意が、なぜ、洛陽ふきんにばかりこだわり、「南中国」出土の鏡に着目しないのか、不審である。
 思うに、日本の「三角縁神獣鏡」は、洛陽に都した魏から与えられたものであるはずという、強い思い込みがあるのであろう。
 2010年発表の論文で、王趁意氏はのべている。「漢魏の時期の洛陽地区が、日本の三角縁神獣鏡の源の地である。」と。

F わが国出土の「三角縁神獣鏡」は、「南中国」の長江(揚子江)流域地方の鏡の「文様」と「銘文」との影響をうけて成立したとみられる。
 ただ、わが国出土の「三角縁神獣鏡」は、文様でも、銘文でも、中国出土鏡にみられない独自の発展をとげている。文様においては、「傘松文」といわれるものが、はっきりとした形ではいるようになる。「銘文」においても、本誌本号の記事で紹介するような独自性がある。

G 今回「新発見」の鏡は、中国全土の、2800面をこえる発掘によって出土したいずれの鏡よりも、日本出土の「三角縁神獣鏡」に近い。日本出土の「三角縁神獣鏡」のきわめて多くが、今回「新発見」の鏡と、共通の「銘文」をもつ。その共通性は、量においても、質においても、中国全土出土の鏡を、はるかに上まわる。
 つまり、時空をこえて、不自然に、「三角縁神獣鏡」に「似すぎている」のである。

H 経済的合理性を考えてみよう。盗掘によって、このような鏡を探し出すことや、どこからか、伝世品を探し出すことを考え、そのために人件費をそそぐよりも、現代の中国人が、贋造品をつくるほうが、はるかに簡単で、かつ、安あがりである。
  根本的な問題を考えよう。
  ほぼ確実な考古学的発掘による出土鏡は、中国のものと、日本のものとを合わせれば、確実に7000面を上まわる。8000面にせまるといってよい。
  なぜ、このような厖大な資料を、ビッグーデータとしてあつかい、統計的に整理して、合理的な推論を行なわないのか。そして、その結果を重要と考え、それを中心にして報道しないのか。出土地もさだかでない、贋造であることが疑われる一面の鏡などで、毎回、上へ下への大さわぎをくりかえす。
  方向をまちがえている。
  これでは、邪馬台国問題が、解決しないのも、あたりまえである。
  『朝日新聞』でとりあげられたことは、中国では、大きな意味をもつ。
  王趁意氏は、ますますハツスルして、このような鏡を求めることとなる。
  需要と供給、洛陽の市価、いや贋造鏡価は、つりあがる。かくて、このような精巧な鏡が「陸続と」出現することとなる。
  『朝日新聞』が、それをまたとりあげて紹介すれば、また、贋造品の値段があがる。・・・・
  『朝日新聞』がしていることは、わが国の科学と学問の破壊に寄与しているにすぎないこととなる。
  世の中まちかっている?
  いやそうともいえない。
  インターネットをみると、早速、つぎのような意見が並んでいた。
○眉につばしなければならないのは、それがたったの一枚で、中国の骨董市で?農民から?譲ってもらった?という話だろう。これでは一級考古資料にはなれない。
○入手経路を証明できるのか?譲ってもらったのなら領収書もなかろう。そもそも中国のどこの、どの遺跡から出てきたものか、証明できるのか?
○この中国人研究家は、第二の藤原(本誌編集部注。旧石器捏造事件の、藤村新一氏の誤りとみられる)か?第三の小保方か?であるのかも知れないのだから、大和説学者でさえ眉に唾しているに違いない。それを突っ込まれないように「譲ってもらった」か?
○しかしまあ、よりによって、今世界中で最も疑わしく、いかがわしい中国の骨董屋での考古資料入手とは、日本人ならまず嘲笑するものだろうものを出してきたか。笑える。佐村河内二代目じゃないだろうね?
 (以上Google「中国で三角縁神獣鏡?それ盗品でしよ?」
 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/56816152.html による。)
  STAP(スタップ)細胞問題も、問題提起が、最初に行なわれたのは、インター・ネットであった。
  良識は、学界とマスコミで死滅し、インターネットのなかに生き残っているのか。
  それなら、インターネットに未来をかけよう。

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