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めでたさも、中くらいなり

(季刊邪馬台国130号 巻頭言)                      河村哲夫



季刊邪馬台国130号
 めでたくも、130号を迎えることができた。
  この雑誌も、一つの時代の区切りを迎えようとしている。
  昭和54(1979)年7月に創刊されて37年。
一つの号に500枚の原稿としても、7万枚を超える膨大な量である。その大半を安本美典氏の超人的なご努力によって、継続されてきた。
  昨年、そのご負担を少しでも軽減しようと編纂委員会を立ち上げ、その第一弾として「奴国の時代」を特集し、各方面からご支援をいただき、事業収支の改善がみられるようになったが、それでも、これまでどおりの発刊は、きわめて困難な情勢となった。少子高齢化、インターネットの普及、若者の活字離れなど、さまざまな要因が考えられようが、邪馬台国そのものへの国民的関心がやや薄らいでいるのかもしれない。
  このようなこともあり、次号の131号をもって、編纂委員会による刊行を終了したいと考えている。今後、日本海文化圏や瀬戸内海文化圏など、日本各地の古代史をきめ細かく掘り起こす予定であったので非常に心残りではあるが、これも時代の流れといえようか。

 今後どのような形で継続するか社内で検討されているようであるが、いずれにせよ、今後とも「九州説」の牙城として、あるいはプロとアマチュアとの橋渡しとしての役割を継承されることを心より祈念したい。
  なお、これまで三回にわたり、邪馬台国前史としての「奴国の時代」を特集したが、第一線で活躍されている関係市町村の考古学分野の方々から、実に貴重な論文を執筆していただいた。
  この「奴国の時代」の特集によって、地道な研究こそが学問の基礎であるというメッセージを読者諸氏にお届けできたものと確信している。
  邪馬台国問題は、決してロマンに満ち満ちたものではない。主観的な思い込みやイデオロギーで解決できる問題ではない。
  地道な学術的研究によって、はじめてその全貌が明らかになるという意味で、まさしく学問の世界の問題である。
  編纂委員会を解散しても、そのような方向で、日本の古代史が解明されることを期待したい。

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