明日香川(あすかがわ)しがらみ渡し 塞(せ)かませば 流るる水も のどにかあらまし
(明日香川に堰を渡してとめたら、流れ去る水も皇女(ひめみこ)の遠ざかることも、ゆるやかになるに違いないのに)
日本最古の和歌集『万葉集』に収められた、柿本人麻呂の一首では、明日香川の水の流れの激しさと、明日香皇女の魂が遠ざかっていくことが重ねて表現されている。
古来より稲作と共に文化文明を発展させてきた日本人にとって、河川とは生活の一部であり、心の拠り所でもあっただろう。河川にまつわる文化、芸術・芸能の例は枚挙にいとまなく、日本人特有の河川観というものが形成されてきたように思える。
『古事記』が編集された奈良・飛鳥時代では、「魚がいちばん、鳥はそのつぎ。魚のなかでは川魚が上。海の魚は下。魚のなかでは鯉がいちばん、スズキがこれにつぐ」といわれており、川に対する畏怖や敬意のようなものも感じる。
また、冒頭の和歌でも表現されているとおり、河川には地城固有の「個性」がある。同し福岡県内でも、水源が少なく、中小河川しかない福岡市出身者にとって、久留米市の筑後川は海のような迫力を感じる広大さて、「川」という言葉に対するイメージも福岡市民と久留米市民とでは大きく違うように思える。
河川に個性があるように、河川が育む各地の流域文化にもさまざまな個性があるだろう。世界四大文明が大河の流域から発展したように、日本各地の大河川流城でも同時多発的に文化文明が発展してきた歴史がある。
古代日本人は各地の川と共にどのように発展してきたのか。流域ごとの特徴や地政学的な意義を俯瞰して兒ることで、新たな発見があるかもしれない。古代日本「文明開化」をもたらした河川の流城史を辿りながら、古代日本人たちが河川と共に歩んだ「心」も感じてみたい。