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卑弥呼と邪馬台国

  コンピュータが幻の王国と伝説の時代を解明する

卑弥呼と邪馬台国
邪馬台国は北九州甘木市ふきんにあり、女王卑弥呼の血を引く神武天皇が東遷し、大和朝廷をうちたてた・・・
著者は、この邪馬台国東遷説を、コンピュータを駆使した記紀及び魏志倭人伝の徹底的な分析により立証し、日本神話と史実のつながりを明らかにしている。

文献研究の第一人者が、理科系的な発想に基づいて史料を見直し、卑弥呼と邪馬台国の謎を解き明かした。    


本書「おわりに」より

  第一章

現代の科学方法論においては、仮説の任意性が主張されている。議論の出発点となる仮説は、 仮説としての条件さえ満たしていれぱ、一応、どのようなものであってもさしつかえないとされ ている。そして、ある仮説を設定したところ、その仮説が、多くの事象についての、十分矛盾の ない説明体系を導出しうるのであるならぱ、もとの仮説は、一応、うけいれるぺきであるとされ ている。

  1. さまざまな現象、事実がある。
  2. いま、ある仮説を真とすれぱ、そのさまざまな現象、事実がうまく説明される。
  3. それゆえ、その仮説を真としてみる理由がある。
これは、ドイツのヒルベルトの説いた公理論以後、アメリカのC.S.パース、ノーウッド.R.ハンスン などによって発展させられ、現代の科学方法論の主流となりつつある見解である。

ギリシア、ローマの事例や、聖書の事例に照らしあわせるとき、『古事記』『日本書紀』の伝え るわが国の神話、伝承も、古い時代の史実をつつんでいるのではないかとする仮説は、有力なも のとされても、ふしぎはない種類のものであると考えられる。

私のこの本は、この仮説にもとづく探究を徹底的にほりさげてみたものである。

私のえた結論は、次のようなものである。

卑弥呼のことが伝承化したのが、天照大御神であり、邪馬台国のことが伝承化したのが、 高天の原である。

そして、邪馬台国=高天の原のあったのは、北九州の夜須町、甘木市ふき んであった。

いまいちど、このような結論をみちびきだした推論のすじみちをまとめてみよう。すると、つ ぎのようになる。

わが国の古代のことを記した『古事記』『日本書紀』には、天皇の系譜が記されている。その ため、ある人がある人の何代まえの人かはわかる。
そこで、実年代がはっきりしている古代の諸天皇についてしらべてみた結果、古代において は、かなり長期問にわたり、天皇一代の平均在位年数は、約十年で安定していることがわかった。

この平均在位年数を用いて、用明天皇から三十五代まえ、雄略天皇から二十五代まえの天照大 御神が活躍していたのは、西暦何年ごろであるかを推定してみる。
すると、天照大御神が活躍していた時期は、『魏志』「倭人伝」に記されている倭の女王卑弥 呼が活躍していた時期と重なりあう。

天照大御神は、卑弥呼であると考えてみる。
すると、記紀によれぱ、天照大御神が活躍していたのは九州であるから、卑弥呼が都した邪馬 台国は、九州にあったことになる。 すなわち、
  1. 『古事記』神話にあらわれる地名の統計では、九州地方がもっとも多く、山陰地方がそれに つぐ。『古事記』神話のおもな舞台は、九州と山陰であるといえる。
  2. 『古事記』神話には、古くからの伝えと考えられる確実な幾内の地名は、一例もない。
  3. 『古事記』神話には、葦原の中国に関する記述が、すぺてで十三例みられる。このうち、「葦 原の中国=山陰地方」と考えて、矛盾を示す文例は、一例もない。そればかりではない。 「大国主の神が治めている葦原の中国」と明記されている文例もある。
  4. 「葦原の中国=山陰地方」とすれぱ、「高天の原=九州地方」がみちびきだされる。
  5. したがって、「高天の原=邪馬台国=九州地方」となる。
さらに、つぎのようなことがいえる。
  1. 地名は、年月の経過にたえて、昔の地名のままに残ることがきわめて多い。甘木市を「夜須 川(安川)」が流れているが、これは、日本神話にあらわれる「天の安の河」と関係がある と思われる。この地は、『日本書紀』『延喜式』『和名抄』にみえる「安」「夜須郡」の地であ る。
  2. 甘木市のまわりの地名と、幾内の大和のまわりの地名は、きわめてよく一致している。これ は、九州から大和への大きな集団の移動があったことを思わせる。
  3. 甘木市のふきんは、交通路からみても、弥生遺跡の分布や、推定される人口の分布などから みても、北九州のほぽ中心に位置する。
  4. 甘木市の近くにも、「香山」が存在する。「安の河」と「香山」とは『古事記』神話中に、そ れぞれ、七回と六回あらわれ、『古事記』神話中、もっとも頻出する固有名詞的地名である。 この二つが、セットの形で、「甘木市」の近くに存在する。これは、大和でも、他の地方で もみられないことである。
  5. 甘木市の「馬田」という地名が、「邪馬台」の残存地名ではないかと恩われる根拠がある。
  6. 甘木市ふきんの地理的条件は、『古事記』に記されている高天の原の地理的条件とかなりよ く一致する。
また、『魏志』「倭人伝」の記述からえられるつぎのような事実も、邪馬台国が九州にあったこ とを支持する。
  • 『倭人伝』に記されている地名のうち、所在のはっきりしている地点問の距離を地図上で実 際にはかれば、『倭人伝』に記されている一里は、現在の90〜100メートルていどにしかならない。
    帯方郡から女王国までの距離は、一万二千里であると記されている。一里を90メートルていどとすれぱ、女王国は北九州の範囲に求めるべきである。
『魏志倭人伝』に記されている女王の時代は、『古事記』『日本書紀』の神話の時代と重なりあい、 一つの事実を語っていると考えられる。
筑後川のたまものとして、三世紀に勃興した邪馬台国は、この世紀の終わりに、倭王神武にひ きいられて東遷し、大和朝廷となった。

卑弥呼、すなわち天照大御神は、いまなお、甘木市ふきんの岩戸の下に、太古の夢を結んでいるのであろうか。 そのうちに、だれか日本のシュリーマンがあらわれて、女王の夢を擾すのであろうか。 いつの日か、女王の夢をつつむ1700年の霧をはらって、古代邪馬台女王国は、ふたたび地上に姿をあらわすのであろうか。


  第二章
ここで、卑弥呼と邪馬台国との探究にあたって、私が、この本でとつた方法についてのべておきたい。

それは、ひとくちでのべるならぱ、数理文献学や、内容分析学の方法である。
数理文献学については、拙著『数理歴史学』(筑摩書房刊)のなかで、ややくわしく紹介した ことがある。
数理文献学は、文献中にあらわれる特定の語の頻度を数えたり、種々の文体特徴を統計的、数 理的分析し、それによって、文献の伝えている情報内容を、客観的に探究する学問である。

また、内容分析学とは、シカゴ大学社会科学教授のベレルソンによれば、「伝達内容を分析するための、客観的、体系的、数量的な方法である。」

内容分析の源の一つとして、コミュニケーションについての研究があげられる。これは、はじ め、アメリカの新聞の内容を研究するために、ジャーナリズム研究者によって用いられた。のち には、主として、社会学者、社会心理学者の手によって発展をとげた。

第二次大戦中には、アメリカでは、国会図書館に、戦時コミュニケーション実験研究部が設置され、 とくに、敵国の出版物の研究が行なわれ、内容分析学の確立をみた。

数理文献学が、一般に、過去の文献(主として古文献)を分析することが多いのに対し、内容分 析掌は、一般に、現代の、新聞、雑誌など、ジャーナリズムの文章などの伝達内容を分析するこ とが多い。

しかし、共通の特徴もある。それは、数量的、数理的な記述を行なうことである。 現在、数理文撃や、内容分析学には、統計学や確率論、情報理論、多変量解析論などが導入され、 コンピュータの利用などは、ふつうのこととなっている。
組織的な、数量化の手続きをへることにより、主観的な判断の余地は、小さくなる。本質的な ものがうきぽりにされ、法則は、みいだされやすくなる。そして、得られた知識は、もっとも集約 して記述されるようになる。

『魏志倭人伝』『古事記』『日本書紀』などについての、これまでの方法による研究は、ほと んど行なわれつくしたといってもよいだろう。新しい方法なくしては、飛躍的な知識の増大は、 もはや望めない段階にきている。とくに、卑弥呼問題や、邪馬台国の位置についての問題など は、系統的、組織的な方法によらないかぎり、解決不可能なところまできているといえる。

私は、この本のなかで、『魏志倭人伝』『古事記』『日本書紀』などを通じて行なわれた、過 去の世代から現代の世代へのコミュニケーションの内容を、数理文献学、内容分析学など、情報 科学の立場から、分析整理した。夾雑物をのぞき、法則をみいだし、矛盾は尖鋭な形でとりだそ うとした。そして、矛盾を止揚して議論を発展させ、結論をみちびこうとした。このような操作 を、意識的にくりかえして行なった。すなわち、自然科学に、きわめて近い立場をとったといっ てもよいだろう。

私は、数理文献学や内容分析学が、邪馬台国問題を、すくなくとも文献学的に解決するため の、きわめて有力な方法であると考えている。
数理文献学や内容分析学の立場からみるかぎり、「邪馬台国=九州説」は、「邪馬台国=畿内 説」にくらぺ、ほとんど、決定的に有利であるようにみえる。だれが行なったとしても、このよ うな立場からするかぎり、この結論は動かないであろう。

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