TOP>活動記録>講演会>第239回 | 一覧 | 次回 | 前回 | 戻る |
第239回 謎の四世紀 |
1.韓国の鉄剣・鉄刀と草薙の剣 |
須佐の男の命が八岐の大蛇を退治して手に入れた草薙の剣は、どのような剣であったのか議論がある。
草薙の剣を見たという言い伝えがある。 江戸時代の垂加神道の学者・玉木正英が、その著『玉籖集』で、熱田神宮の大宮司社家4、5人が草薙の剣を見た時のようすを記録している。
刀剣研究家の石井昌国氏はNHK編『歴史への招待』のなかで、草薙の剣について次のように推理する。
非常にむくみがあってむっくりとしているというのは、やっぱり銅剣ですよ。
しかし、今回の韓国旅行で、有柄式銅剣と同じような形の、鉄製の剣のあることがわかり、石井氏のように剣の形の特徴から銅剣であると判断することは必ずしも正しくないことがわかった。 韓国・慶州博物館で展示されていた剣は、柄が青銅製で、剣が鉄製であるが、区(まち)がくびれていて、柄が魚の骨のようなかたちであり、熱田神宮の言い伝えとあう。 また、草薙の剣は有柄式の剣ではなく、素環頭(そかんとう)太刀であるとする説もある。 『古事記』の記述では、草薙の剣は「都牟刈(つむがり)の大刀」と呼ばれている。 「つむ」とは日本語の「おつむ」や、沖縄語(首里方言)で「頭」のことを言う「ちぶる」という言葉の語源となった言葉である。 「おつむ」は「おつむり」とも「「つむり」「つぶり」ともいう。 「都牟刈(つむがり)」は「頭曲(つむまが)り」と理解すべきはないか。 とすれば、都牟刈の大刀は、すなわち、頭に丸い輪の付いた素環頭太刀である可能性がある。 |
2.崇神天皇の年代 |
治世の年代が明らかな天皇
第10代崇神天皇は雄略天皇の11代前の天皇なので、平均在位年数10.8年として計算すると 478−10.8×11=359 すなわち、崇神天皇は359年ごろに活躍した天皇。 崇神天皇の年代をこのように推定することによって、整合的に説明できることや、矛盾することがらを検討してみる。 安本先生が推定した諸天皇の活躍年代 ■ 崇神天皇陵古墳の年代 崇神天皇陵古墳について東京大学の考古学者・斉藤忠氏は次のように述べる。 今日、この古墳の立地、墳丘の形式を考えて、ほぼ4世紀の中頃、あるいはこれよりやや下降することをかんがえてよい。 崇神天皇陵が4世紀中頃またはやや下降するものであり、したがって崇神天皇の実在は4世紀の中頃を中心とした頃と考える・・・
4世紀の中ごろ、または、それをやや降るころのもの とする。(『シンポジウム 古墳時代の考古学』)崇神天皇陵古墳の年代に関する、考古学者のこのような見解は、崇神天皇の在位年代が359年ごろとする安本先生の推論と整合している。 ■ ホケノ山古墳の年代 2005年11月4日の朝日新聞に「最古の古墳? 学生が発見」と題して、次のような内容の記事が掲載された。
奈良県桜井市箸中にある堂の後(どうのうしろ)古墳が、日本最古とされるホケノ
山古墳(3世紀半ば)より古い前方後円墳である可能性が高いことが、天理大の学生等によるレーダー探査でわかった。
その理由は、
|
3.九州の古墳 |
最近の新聞記事から、古墳の発生に関わる記事を紹介。
■ 南九州に最古の古墳 西都原古墳群の西都原81号墳が、国内最古級の前方後円墳であることが確認された。 西都原81号墳は長さ52メートルの纏向型前方後円墳で、出土した土器から築造は3世紀中ごろと考えられ、南九州では最古の古墳。 従来、纏向型古墳は、ホケノ山古墳など奈良県で発生したものが各地に展開したと言われてきたが、ホケノ山古墳の年代は、上記のように4世紀以降の可能性があることから、前方後円墳の起源が九州にある可能性を考える必要がある。 ■ 国内最大の「木槨」 宮崎の古墳から 宮崎県吉村町の纏向型前方後円墳「檍(あおき)1号墳」で、3世紀末〜4世紀前ごろの木製墓室、木槨跡が確認された。 従来、国内最大だったホケノ山古墳の木槨(6.7×2.7メートル)を上回る7.2×4メートルの国内最大の木槨である。 檍1号墳はホケノ山古墳と近い時期の築造と推定されており、木槨についても、その起源を九州とする見方を検討する必要がある。 |
4.新・吉野ケ里学シンポジウムから |
10月9日に佐賀県立美術館ホールで、吉野ケ里遺跡と「邪馬台国」の実像に迫ると銘打って「新・吉野ケ里学シンポジウム」が開催され、安本先生が基調講演を行った。
佐賀新聞に掲載されたパネリストの意見をいくつか紹介 詳しくは >>
|
TOP>活動記録>講演会>第239回 | 一覧 | 上へ | 次回 | 前回 | 戻る |