■はじめに
日本民族の起源の話をはじめるのにあったって、人種と民族は定義が違う。
『広辞苑』では、「人種」と「民族」とを、つぎのように説明している
「人種(race)人間の生物学的な特徴による区分単位。皮膚の色を始め頭髪・身長・頭の形・血液型などの形質を総合して分類される。コーカソイド(類白色人種群)・モンゴロイド(類黄色人種群)・ネグロイド(類黒色人種群)の三大人種群に分類されるが、オーストラロイド(類オーストラリア人種群)・カポイド(コイサン人種群[コイ族=ホッテントットと、サン族=ブッシュマン])を加えた五大分類も行われている。」
「民族(nation)文化の伝統を共有することによって歴史的に形成され、同属意識を持つ人々の集団。文化の中でも特に言語を共有することが重要視され、また宗教や生業形態が民族的な伝統となることも多い。」
そこで、日本民族を考えると、日本語は世界の言語の中で、それほど少数ではない。右図の1980年の統計でも6番目である。
更に、歴史的にみると。日本語を話す人口は1500年ごろで、1800万人である。その時、英語を話す人口は500万人くらいであったが、1950年では2億5千万人と約500年で50倍くらいになった。またロシア語を話す人口は1700年ごろで、1000万人くらいしかいなかったが、1950年では約300年で1億5千万人と10倍以上になった。
なぜこのようになったかと言うと、ヨーロッパによる植民地政策によって、世界的に拡大していったことによる。
人類は、アフリカで発生した。10万年くらい前にアフリカをでて、日本に来たのは3~4万年前である。そして「2.項」の縄文時代の話に続く。
(下図はクリックすると大きくなります)
■放射性炭素年代測定について、基礎知識
『ウィキペディア(Wikipedia)』によると下記のように説明されている。
放射性炭素年代測定(ほうしゃせいたんそねんだいそくてい、英語:radiocarbon dating)は、自然の生物圏内において放射性同位体である炭素14(14C)の存在比率が1兆個につき1個のレベルで一定に保たれていることを基礎とする動植物の遺骸を使用する年代測定方法である。無機物及び金属では測定が出来ない。
C14年代測定に同じ。単に炭素年代測定、炭素14法、C14法などともいう。
・放射性同位体の個数(N)の減少と経過時間(t)との関係。
地球自然の生物圏内では炭素14の存在比率がほぼ一定であり、動植物の内部における炭素14の存在比率は、死ぬまで変わらないが、死後は新しい炭素が補給されなくなるため、存在比率が下がり始める。この性質と炭素14の半減期が5730年であることから年代測定が可能となる。なお、厳密には炭素14の生成量は地球磁場や太陽活動の変動の影響を受けるため、大気中の濃度は年毎に変化している。また、北半球と南半球では大気中の濃度が異なっている。
これによって、その生物が死んでからの経過年数が分かる。
・加速器質量分析(AMS)法
1970年代末に開発された分析手法。加速器で炭素14を直接数える方法AMS(Accelerator Mass Spectrometry=加速器質量分析計)で、必要な試料量(1mg程度)、測定時間(30分~1時間程度)共に大幅に改善され、ベータ線計測法と比較し高精度化・高効率化された。また約6万年前まで測定可能となった。装置の小型化に伴い多くの施設で入手可能なレベルになっている。
この方法が開発され、安価で少量の資料で年代が分かるようになった。
それ以前は下記の「ベータ線計測法」であった。
・ベータ線計測法
「ガスプロポーショナルカウンティング法」「液体シンチレーションカウンティング法」と呼ばれ、炭素14が電子と反電子ニュートリノを放出して窒素14(14N不安定同位体の窒素)に壊変するときに放射されるベータ線をシンチレータにより検知して数える方法である。現代の炭素1gでも4~5秒に1個しか壊れないので、計測には時間がかかり、試料もグラム単位で必要とされる。
■縄文時代・弥生時代年代論争
・縄文時代・弥生時代はいつから
縄文時代や弥生時代は、いつからはじまるのか、についての論争がつづいている。
国立歴史民俗博物館の研究グループ(以下、「歴博研究グループ」とよぶ)の方々が、つぎつぎに本をだすなどして、縄文時代や弥生時代のはじまりが、従来よりも、大はばにさかのぼる、という見解(以下、「歴博遡上論」とよぶ)をうちだしている。
これに対し、「歴博研究グループ」関係以外の、大方の学会の雰囲気は、「新しい測定法や、新しい資料により、年代は従来よりも遡(さかのぼ)るが、歴博研究グループが主張するほどは、遡らないよ。」といったところであるようにみえる。
2015年10月17日(土)~12月13日(日)にわたり、福岡市博物館で「新・奴国展」が開催された。
そのさい、図録『新・奴国展』(特別展「新・奴国展」実行委員会編集・発行、2015年)が、刊行されている。
そのなかに、福岡市文化財部埋蔵文化財調査課の久住猛雄(くすみたけお)氏の、「『奴国の時代』の歴年代論」という文章がおさめられている。
久住氏は、その文章のなかで、「歴博研究グループ」の議論について、つぎのようにのべておられる。
「近年の歴年代観の変更を促そうとする主な自然科学的方法は、具体的にはAMS法(加速器質量分析法)により、主に土器付着炭化物から各様式期の炭素十四年代を測定し、その測定値の『較正年代』の傾向を統計学的に読み取り、各時期の年代幅を推定していく方法である(藤尾慎一郎 2009)。ここで注意したいのは、一般の方々には『自然科学』であれば、その方法による推定が『絶対的』と考える方もいるかもしれないが、実際はそう単純ではない。まず自然科学の側からも様々な問題点や修正案が提出されており(新井宏 2006・2009)、考古学側でもその受け止めをめぐって議論(藤尾慎一郎ほか 2009)や慎重論が提出されているものである(田崎博之 2006年)。」
「弥生時代開始は従来説よりは遡るが、しかし(「歴博研究グループ」ののべるような)紀元前十世紀までは遡らず、紀元前800~700年前後を妥当とする考古学研究者が今も多いとする指摘がある(新井宏 2009)。」
この時代(奴国の時代)は、中国鏡や中国銭貨など歴年代幅のわかる中国系遺物が多くあり、特に紀元前一世紀中頃から紀元後一世紀中頃の間は動かないはずだという指摘もある(高倉洋彰 2011。高倉洋彰氏は、日本考古学協会会長)。問題は一世紀後半から三世紀だが、この間についても後述するように、考古編年の各時期の後漢鏡や『貨泉』などによる年代幅の上限推定や(各時期の〈最新の〉遺物を抽出)、別の有力な自然科学的年代測定法である年輪年代法による出土資料の年代推定から、遡行説と矛盾するものが確実にいくつも存在し、それは成立しない可能性が高い。」
私も、大略、久住猛雄氏や、新井宏氏などの意見に賛同するものである。以下に、その根拠をのべておこう。
・物理学と科学の基礎的な素養を欠いている!
「歴博研究グループ」の一連の発表に、疑念をいだかせるのは、つぎのような点にもある。
「歴博研究グループ」の代表者のひとり、藤尾慎一郎氏の著書に、『弥生時代の歴史』(講談社現代新書、2015年刊)がある。
その本の著者紹介の欄に、つぎのように記されている。
藤尾慎一郎(ふじお しんいちろう)
1959年福岡県生まれ。広島大学文学部史学科卒業、九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、国立歴史民俗博物館副館長・総合研究大学院大学教授。専門は日本考古学。
著書に『縄文論争』(講談社選書メチエ)、『弥生変革期の考古学』(同成社)、『〈新〉弥生時代500年早かった水田稲作』『弥生文化像の新構築』(ともに吉川弘文館)が、共著書に『弥生文化の輪郭』『弥生文化誕生』(ともに同成社)がある。AMS炭素14年代測定に基づいて弥生時代の開始を500年遡らせて大きな話題となった国立歴史民族博物館の研究において、主導的な役割を担った。
この本について、インターネットをみると、アマゾンのカスタマーレビューに、つぎのような文章がのっている。
著者がいう弥生年代観には疑問符:投稿者ゆうさん トップ500レビュアー 投稿日は2015/9/1
「オビに書かれた『新書初の「弥生時代」の通史』というフレーズに興味を惹かれ購入したが、最初の数ページを読んだところで科学的に不正確な記述が複数あることが分かりがっかりした。具体的には、6ページで炭素の同位体について説明するところで、「化学的な性質を異にする三つの炭素」とあるが同位体は電子状態が同じなので科学的性質は同等である。また三つの同位体は「電子の数が異なっており、順に六・七・八個の電子をもっている。」とあるがいうまでもなく同位体で数が異なるのは中性子である。また、8ページで炭素年と通常の年数の違いを説明するところで、「太陽が地球の周りを~まわった時間」とあり単純な記述ミスではあると思うがあまりにレベルが低く問題が大きい。というのは、これらはいずれも著者のグループが主張している弥生時代の年代観の基礎となる炭素14年代測定法を説明するところで書かれており、測定法の科学的妥当性等にも大きな疑問を与えてしまうためである。更に、著者らの提唱する年代観を批判する人は「日本考古学や朝鮮考古学を専門とする研究者」に多く、支持しているのは「一部の中国考古学を専門とする研究者」である(15~16ぺージ)と書かれると、彼らの主張する年代観を信じるのはかなり難しくなってしまう。
本文の内容については、最近の考古学的な成果も取り入れ、弥生時代の代表的な遺跡の説明が分かりやすく書かれているし、ところどころに挟んであるコラムも興味深いものが多かった。
従って(年代についての疑問を一先ず置けば)中々面白く読めただけに、いきなりの間違いは残念であった。 」
一番中心となるテーマの、「年代」に関係するところで、疑問がある、というのである。最初の傍線部の「科学的な性質を異にする三つの炭素」とあるのは誤りである。「投稿者のゆうさん」の指摘するように化学的性質は異ならない。
図に示したように、「電子の数」は異ならない。ともに六個である。異なっているのは、原子核における中性子の数である。
これは、天文学者が、惑星と恒星とをとりちがえるような誤りである。
藤尾慎一郎氏は、物理学の、ごく基礎的な素養を欠いている。その人が、国立歴史民俗博物館の、AMS炭素14年代測定において、「主導的な役割」を担ったとは、ほとんど、信じがたいことである。
国立歴史民俗博物館のこれらの研究の研究費について、数理考古学者の新井宏氏は、『東アジアの古代文化』2008年春・135号に掲載された論文「炭素年による弥生時代遡上論の問題点(再論)」のなかで、つぎのようにのべている。
「歴博は平成十六年から二十年の五年間にわたり、総額四億二千万円の『学術創生研究費』を得て、『弥生農耕の起源と東アジア-炭素年代測定による高精度編年体系の構築-』の研究を推進している。一般の科学研究補助金が古代史と考古学を合わせても年間四億五千万円程度なのと比較すれば、極めて重要視されている研究である。」
藤尾慎一郎氏が人がらもよく、文章力のある人であることはみとめる。しかし、まったく、どうなっているの、というような話である。
測定じたいは、測定をする機関にたのめばいくらでも測定できる。厖大な研究費を費消することは可能であろう。しかし、その結果の解釈などは、大丈夫なのだろうか?
・土器付着炭化物は、年代が古くでる
「歴博研究グループ」の年代論において、もっとも大きな、中心的な問題は、根拠になっているデータのほとんどが、「土器付着炭化物」の測定値であることである。
そして、「土器付着炭化物」は、じっさいよりも年代が古くでると、くりかえし指摘、批判されている。
それにもかかわらず、歴博研究グループは、「土器付着炭化物」をメインの資料として、年代を推定しつづけている。
「海洋リサーバー効果」という現象がある。海に関係した資料では、年代が古くでるという現象である。
歴博研究グループは、海洋リサーバー効果がみとめられなければ、土器付着炭化物の測定結果にしたがってよい、とする見解を、しばしば主張する。
しかし、批判者がわの主張は、つぎのようなものである。
・海洋リサーバー効果が、みとめられなくても、土器付着炭化物を試料として用いると、系統的に年代が古くでる。
まず、この点について、つぎの五つのデータを示しておこう。
(1)宮田佳樹氏の示す『東道ノ上(ふがいみちのかみ)遺跡』のデータ
(2)西田茂氏の指摘する北海道対雁(ついしかり)遺跡のデータ
(3)新井宏氏の指摘する暦年のほぼわかっている中国や、エジプトのデータ
(4)橿原考古学研究所の奥山誠義(おくやままさよし)氏の示す年輪十二年の小枝のデータ
(5)安本が指摘する「クルミ・桃核」と「土器付着炭化物」との比較データ
・宮田佳樹氏の示すデータ
当時、国立歴史民俗博物館研究員(現在、金沢大学環日本海域環境研究センター研究員)の宮田佳樹氏は、『弥生農耕のはじまりとその年代』(「新弥生時代のはじまり」第4巻、雄山閣、2009年刊)のなかで、(遺物にみられる海洋リザーバー効果」という文章を発表しておられる。
そのなかで、表、図のようなデータを示しておられる。このデータは、四、五千年はまえのデータで、縄文時代の遺物であることに、留意していただきたい。
下表のなかの、「炭素年代BP」とあるのは、遺物(試料)の最終西暦年代を推定して出すための途中段階の年代である。大まかに、現代から何年まえかを示す数値である。この年代が、大きければ大きいほど年代が古く、小さければ小さいほど年代が新しいと、大略いえる。
この表と右下図とを、よくみてみよう。
(1)クルミ(オニグルミは、野生のクルミ)は、土器付着炭化物「コゲ」よりも、BP年代が、数百年の単位で新しくでている。
(2)陸上のものをたべるイノシシはクルミと、ほとんどかわらない。海洋リザーバー効果をうけていないとみるべきであろう。
(3)土器付着炭化物「コゲ」は、シジミ、アサリなどの貝や、スズキなどの魚などよりも、さらに古い年代を示している。海洋リサーバー効果だけでは、説明しにくいようにもみえる。シジミ、アサリなどを、土器で煮たために、海洋リサーバー効果が生じたのであるとすれば、土器付着炭化物の「コゲ」が、シジミ、アサリより、年代がされに古くでるのは、不自然である。
(4)宮田氏は、オニグルミを、海洋リサーバー効果をはかるための基準として用いている。つまり、オニグルミが、海洋リサーバー効果をうけにくい試料であることをみとめていることになる。
宮田佳樹氏のさきの文章には、下表のようなデータも示されている。
下表をみると、土器付着炭化物「コゲ」は、総体的に、貝よりも古い年代を示している。
やはり、海洋リサーバー効果によっては、説明しにくいようにみえる。
土器付着炭化物の年代が古くでるのは、海洋リサーバー効果だけによっては、説明できないものがあるとみるべきである。
・西田茂氏の示すデータ
当時、北海道埋蔵文化財センターの第二調査部長であった西田茂氏は、きわめてよくコントロールされた調査によって、炭素14年代測定法によるとき、まったく同一の遺跡から出土した遺物でも、クルミを試料として用いるとき、年代が新しくでて、土器付着炭化物を試料として用いるとき、年代が古くでることを、示しておられる。
西田茂氏は、北海道江別市の対雁(ついしかり)遺跡での例をあげる。
西田氏は、まず、2003年12月刊の『考古学研究』(199号)で、下表のようなデータを示された。
北海道では、この年代の古さであれば縄文時代のころのデータといえる。
下表のデータでは、土器付着炭化物は、オニグルミにくらべ、数百年の単位で、年代が古くでている。
下表において、「増長効果」というのは、西田茂氏の用語で、年代が古くでる効果をさす。西田氏の示した下表のようなデータに対し、「歴博研究グループ」は、「下表のようなデータで、土器付着炭化物の年代が、古くでているのは、海洋リザーバー効果によるものであろう。」という反論を行なった(藤尾慎一郎・今村峯雄「炭素14年代とリサーバー効果」[『考古学研究』200号2004年3月刊])。
これに対し、西田茂氏は、2004年6月刊の『考古学研究』(201号)に、「ふたたび年代測定値への疑問」と題する再反論を行なった。
西田氏はそこで、下表のようなデータを示し、歴博研究グループの反論は、論証不十分で、「海洋リサーバー効果」だけでくくれるとは、考えられないことをのべる。
西田茂氏は、結論的に記す。
「土器付着炭化物は『試料の安定性を欠くもの』であり、これらに依拠する弥生時代の始まりが早まるという見解には賛同できない。」
西田茂氏は、北海道の対雁遺跡の例をあげる。そして、この対雁遺跡の例については、歴博研究グループも、追跡調査を行っているようにみえる。
国立歴史民俗博物館から出されている研究成果報告書『弥生農耕の起源と東アジア』(2009年3月刊)の、150ぺージ以下に、
対雁遺跡についてのデータがのっているからである。
そこには、「土器付着物」のデータのみが、二十六例のっている。
その二十六例を、「海洋リサーバー効果の影響か」と記されているものと、たんに、「測定値が古すぎる」と記されているものとにわければ、つぎのようになる。
「海洋リサーバー効果の影響か」とあるもの……八例
「測定値が古すぎる」とあるもの………………十八例
計 二十六例
すなわち海洋リサーバー効果を示す指数などをみても、「海洋リサーバー効果の影響か」とはいえないものでも、「測定値が古すぎる」ものが、二十六例中十八例、約70パーセント(正確には、69ハーセン)を占めるのである。
そもそも、「測定値が古すぎる」とは、何を基準にして、「古すぎる」といっているのであろうか。炭素14年代測定値以外に、年代を示す確たる数字はないはずである。これは、クルミなどの測定値と比してのことであろう。
とすると、西田氏の土器付着炭化物の測定値は、年代が古くですぎる傾向があるという批判を、みとめなければならない、ということにならないか?
・新井宏氏の指摘する中国・エジプトの例
数理考古学者の新井宏氏は、その著『理系の視点からみた「考古学」の論争点』(大和書房、2007年刊)
のなかで、遺跡推定年のほぼわかる中国の墳墓出土品について、炭素14年代値が、どのていど古くでるかをまとめておられる。
表、図でみると、木炭試料の年代が、数百年の単位で古くでている。そして、他のものも、炭素14年代は、遺跡推定年にくらべ、とかく年代が古くでる傾向があるようである。
新井宏氏は、またエジプトの例をとりあげ、つぎのようにのべている。
「エジプト考古学では、『炭素14年代』が、『精緻な王朝表』よりも100~300年も古く出ていて、未だに論争が継続している。」(「考古学における新年代論の諸問題」[第13回アジア歴史講演会、2013年1月26日])
(下図はクリックすると大きくなります)
・奥山誠義(おくやままさよし)氏の示すホケノ山古墳出土の小枝のデータ
奈良県立橿原考古学研究所の奥山誠義氏は、奈良県のホケノ山古墳の出土物についての、炭素14年代測定結果を示しておられる。
炭素14年代BPをみると、「およそ十二年輪の小枝」の資料は、「木棺北がわの炭化した部分」などにくらべて、185年ほど年代が新しくでている。
「炭化した」木材などは、どうも、年代が古くでる傾向かあるようである。
・安本の指摘する「クルミ・桃核」と「土器付着炭化物」との比較データ
私は、目にふれるかぎりの報告書類にあたり、同一の遺跡から、「土器付着炭化物」と「クルミまたは桃核(桃のタネの固い部分)」との両穂が出土している例で、炭素14年代測定が行われているものをとりだして、比較をしてみた。
そのような例は、七遺跡ある。「土器付着炭化物」の測定値が二十例、「クルミ・桃核」の測定値が二十九例である。合計で四十九例のデータがえられた。
そのことごとくにおいて、「土器付着炭化物」の炭素14年代BPは、「クルミ・桃核」の炭素14年代BPよりも、年代が古くでている下左表のようになる。「土器付着炭化物」の炭素14年代BPの年代が、古くでていること、きわめて規則的である。
(下図はクリックすると大きくなります)
いま、この表のデータをもとに、横軸に「土器付着炭化物」の炭素14年代BPをとり、縦軸に「クルミ・桃核」の炭素14年代BPをとってグラフを描くと、右図のようになる。
もし「土器付着炭化物」と「クルミ・桃核」とが、ほとんど同じような炭素14年代BPを示すのであれば、四十五度の直線のうえにのる傾向を示すはずである。
しかし、そうはならない。
右図に示したデータに、もっともよくあてはまる
y = ax (A)
の形の直線を、最小自乗法とよばれる統計的方法によって求めれば、
y = 0.906x (B)
となる。
これは、「土器付着炭化物」にくらべ、クルミ・桃核」は平均しておよそ一割ほど(正確には、0.906をかけた値ほど)、炭素14年代BPが新しくでることを示している。
土器に付着した炭化物を試料として用いると年代が古くでる。これは、炭化物は、活性炭(吸着性の強い炭素質の物質。脱臭剤など、吸着材として用いられる)のような性質をもち、土壌に含まれている腐植酸(フミン酸やフルボ酸など)を吸着しやすい性質をもつことによっておきる汚染にもとづくことが強く疑われている(新井宏「土器付着炭化物の炭素14年問題-古く出ている現状とその原因について-」(『季刊邪馬台国』105号、2010年刊)。
土器付着炭化物の年代が古くでるその他の理由も考えられる。しかし、おそらくは、新井宏氏の腐植酸による汚染説が正しいであろうと、私は考える。すくなくとも、この種の汚染が、メインの理由で、年代が古く出るのであろう。
新井宏氏によれば、「(土器付着炭化物は、年代が、)古くでているか否か」の問題は卒業して、「なぜ古くでるのか」の問題に、関心が集中する段階であるという。
新井宏氏は、さきの『季刊邪馬台国』105号掲載の論文のなかで、さらにのべている。
「振り返ってみれば。歴博が炭素14年を利用して、弥生時代遡上論を展開し始めたころには、すでに、本川遺跡や朝日・八王子遺跡で土器付着物が著しく古く出ている現象が報告されていた。それなのに学会での十分な討論を経ずに、新聞発表を行ない、さらには西田氏の貴重な指摘があったにもかかわらず、それを無視して今日を迎えてしまった。」
なお、クルミの殼について、名古屋大学の年代測総合研究センターの中村俊夫教授は、2009年7月11日~12日に開催された日本文化財科学会の特別講演の「発表要旨」でつぎのようにのべておられる。
(同趣旨の文章は、中村氏の「AMSによる14C年代測定結果の留意点 第1回」[『考古学ジャーナル』543、2006年]にもみえる。)
「クルミの殼はかなり丈夫で汚染しにくいので、年代測定が実施しやすい試料である。」
このように、土器付着炭化物より、桃・クルミから測定すると年代が約1割新しくなる。このことを考えると、弥生時代・縄文時代のはじまりは歴博が主張するより、下記表のように、少し新しなる。
弥生時代が2500年前に始まっていたと、考えると、中国では戦国時代で、呉と越が戦っていた時代である。そのことから考えると呉と越から戦争を避けるため非難した人民から、揚子江流域の稲作が伝わったと考えられる。
縄文時代、弥生時代のはじまりについての年代論争について、くわしくは、『季刊邪馬台国』129号参照。