旧石器捏造事件があきらかになったとき、なぜ、二十五年ものあいだ、捏造がつづいているのに、学界がそれを見ぬけないという異常なことがおきたのかが、たずねられた。
そのさい、「もっと徹底した議論が必要だったのではないか。」といわれた。
では、この事件以後、徹底した議論は、行なわれるようになったのか。なにも変わっていない。
たとえば、弥生開始年代遡上問題にせよ、古墳開始年代遡上問題にせよ、また、古墳開始年代に関連して、箸墓古墳築造年代にせよ、それぞれが、考古学の根幹にかかわる重要な問題のはずである。しかし、マスコミ宣伝ばかりであった。専門家による「徹底した議論」が行なわれた様子はない。
いずれも相当な問題をはらんでいるにもかかわらず、とにかく、「権威者」や「権威的機関」がまず、マスコミ宣伝によって、自説をのべ、批判的見解を封殺しようとする動きが、あとをたたない。
旧石器捏造問題があきらかになる以前の、旧石器の年代についての議論のばあいと、事情はまったく変わっていない。
箸墓古墳の築造年代などでは、この問題を議論するのに、もっとも適した専門の学会である日本情報考古学会が、「炭素14年代法と箸墓古墳の諸問題」というテーマでシンポジウムをひらいている(2010年3月27日〔土〕大阪大学)。
日本情報考古学会の事務局では、「炭素14年代法と箸墓古墳の諸問題」のシンポジウムを開催するにあたり、「箸墓築造年代遡上論」の立場にたつ国立歴史民俗博物館(以下、歴博と略す)の研究グループの各メンバーにパネル・ディスカッション(討論すべき問題について、数人の対立意見の代表者が、聴衆のまえで行なう討議)に、パネラー(討議を行なう人)として出席していただくよう熱心に交渉されたときく。しかし、歴博グループのだれ一人として、パネラーとして出席することを、引きうけなかったという。
要するに、歴博の研究グループは、批判派がわとの「徹底した討論」をさけたということである。
日本情報考古学会は、統計学者で同志社大学教授の村上征勝氏(もと、文部省統計数理研究所・総合研究大学院大学教授)が会長で、理系の人の発表や、コンピュータによる考古学的データ処理などの発表も多く行なわれている。炭素14年代測定法などの検討には、もっともふさわしい学会といえる。
日本情報考古学会のシンポジウムでは、結果的に、歴博研究グループの発表内容のほとんどが、全面的に否定されている。歴博研究グループの発表は、方法も、結論も、誤っていると評価されたのである。これについてのシンポジウム会場からの見解も、その評価を支持するものであった。つまり、歴博研究グループが、そのためについやした厖大な国家予算は、国税の浪費であったということである。これは重大なことではないのか?このシンポジウムの内容は、日本情報考古学会の機関誌『情報考古学』のVol.16、.2、二〇一〇年刊以下に、連載されている。
しかるに、日本考古学協会の会長をされた方は、いまだに、歴博研究グループの発表した年代を支持する見解を表明している。
まことに、無責任といわざるをえない。日本考古学協会は、これらの諸問題については、かなりなていどの責任がある。日本考古学協会でも、一方的な人選にならず、チェックが十分きくよう、あるいは、日本情報考古学会などと共同で、批判派をふくめてシンポジウムを開催してはどうか。自然科学は、白、黒のはっきりする世界である。
そのうえで、賛成なり反対なりの見解を表明すべきではないか。
炭素14年代測定法のデータからは、歴博研究グループののべるような結果はでてこない。虚情報というべきである。
歴博研究グループの発表は、その「よそおい」のとおりではない。自然科学的な客観的事実ではない。歴博研究グループの考古学者の「解釈」が、大幅にはいったものとなっているのである。
この世界は、信用できない、あやしげな情報がおおっぴらに走りまわる世界なのか。
権威主義と、マスコミ宣伝主義とが、考古学の科学的、学問的進展をむしばんでいる。
億の単位の金がからみ、組織ができると、発掘費や助成金を獲得しやすいようにと、そちらを目的にした予定調和的見解のみが幅をきかせるようになる。
判断の基準が、「事実とあっているか否か」ではなく、「予定調和とあっているか否か」になるのである。批判的見解は、組織の力でおしつぶされる。
なにがほんとうのことなのかを知ることよりも、みずからのいだいたストーリーを保持することのほうが優先される。客観的事実によるチェックがきかない。どこかの国の検事的情況となっている。
旧石器捏造事件は、このような組織の体質がひきおこした事件である。そしてその組織の体質は、現在も、なにも変わっていない。
二十五年ものあいだ、旧石器捏造を見ぬけなかった組織の体質には、大きな問題がある。人々よ。このような組織の体質に対して、もっと公然と、声をあげよう。
第二次世界大戦における日本国の敗戦も、これとよく似た組織心理の構造によってみちびかれている。
大本営発表では、「必勝の信念」という予定調和にあうことのみが報道された。
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