かつて、日本の考古学をリードした京都大学の考古学者、小林行雄は、しばしば、つぎのようにのべた。
「定説を疑え。」
そして、今こそ、考古学の定説というか、多数意見的なものを、大いに疑うべきときのようにみえる。
田中角栄氏の「日本列島改造論」によって、全国で開発が行なわれた。公共投資が行なわれた。
それとともに、考古学の緊急調査(開発にともなう工事などにより、遺跡が破壊されるおそれのあるとき、工事などにさきだって緊急に実施される発掘調査。考古学的発掘の大部分をしめる)が、大規模に行なわれるようになった。
多額の費用が、開発業者、国、そして、都道府県・市町村などの地方公共団体から、考古学の分野に流れこむようになった。
壮麗な博物館なども、各地にたてられた。
それにともなって、考古学の質も、大いに向上したであろうか。
逆である。マスコミ発表の機会にめぐまれるにつれ、考古学者たちのマスコミ発表が、粗雑化していった。
「マスコミ発表したものが勝ち」的な姿勢で、十分な検討をへないまま、かねてからの自説を、新しい出土物にむすびつけ、「そんなこといえるの?」というような「解釈」を発表する人たちが、さいげんなくふえていった。
旧石器捏造事件などは、その最たるものである。
新聞の一面を大きくかざり、テレビでにぎにぎしく報道され、教科書にものせられた遺跡、遺物が、マッカな捏造であった。
捏造物によって作られた古代世界は、夢まぼろしであった。
この大きな失敗にもとづき、「失敗の本質」がたずねられ、改革が行なわれたであろうか。
疑問である。
現在でも、なにかあるごとに、考古学のリーダー諸氏によって、どれだけ確実な根拠をもっているのか、と疑われるような、特定の説にもとづく「解釈」的発言・断言が、しばしばマスコミでくりかえされている。
黒塚古墳発掘の指導者であった奈良県立橿原考古学研究所の河上邦彦氏は、当時、のべている。
「ここでしっかり書いておいて欲しい。新聞に書かれた各説がウソばかりだと。」(『東アジアの古代文化』1998年春・95号)
同じ考古学者からさえ、「ウソばかりだ」という意見がでてくる。
このようなことがおきる学問分野は、考古学だけといってもよいであろう。
マスコミ発表は、なんら、ある特定の説の証明にはならない。
学術的、科学的な検討・証明よりも、マスコミによる宣伝・洗脳を優先する体質。それによって、多数意見を形成し、それをみずからも信じきって、少数意見を、ほとんど無意識に無視、圧迫する体質。金銭がからむと、組織ができ、利害が生ずるためにこのようなことになるのであろうか。
考古学者の、森浩一氏はのべている。
「学問はマスコミの主導でおこなってはいけないし、それは危険である。学界で討論をし、それでも耐えられたとき初めて仮説や学説になる。」(「纒向を探究するさいの心構え」[『大美和』第123号、大神神社、2012年刊])「討論や、批判的見解の検討よりも、まず、マスコミ発表」主義への疑問。
森浩一氏のこのような警告は、現在の考古学のリーダー諸氏の耳にはいりにくくなっているのではないか。
中世の教会が、いかにガリレオを弾圧し、多数意見を形成すればとて、地球が動きをとめ、太陽が地球のまわりをまわるようにはならない。
多数意見の形成よりも、どの仮説が、観測された諸事実にもっともよく合致しているかをこそ、虚心にたずねるべきではないか。
昨年のノーベル医学生理学賞は、京都大学の山中伸弥氏に与えられた。しかし、iPS細胞による世界初の臨床応用をしたという森口尚史氏の新聞発表には、根拠がなかった。
考古学の分野では、森口尚史氏のように、根拠のない断言をマスコミ発表する人が、多すぎる。「赤信号、みんなで渡れば、こわくない」ということであろうか。マスコミ発表は、なんら、学問的、科学的証明にならない。
関西の博物館などをめぐると、地域おこしの意図もあるのであろうか、「邪馬台国=畿内説」の前提にたち、古墳発生期の年代などを、上ヘ上へくりあげ、卑弥呼の時代に近づくことが確定しているかのように説明されていることがすくなくない。卑弥呼や邪馬台国とむすびつけると、マスコミなどの注目をあび、助成金などを得られやすいということか。しかし、その年代論の根拠をたずねると、いかにもあいまい、かつ、あやふやである。疑問点が多い。
確実な考古学的根拠が、提出されているわけではない。
もろもろの疑問を、宣伝によって、封殺しようとしているようにみえる。
この体制は、いつまでつづくのか。組織ができ、利害がからめば、その体制の上にたつ人たちを批判し、説得するのは、大変なことになる。学問や、科学とは、次元の違う話になってくるから。
西欧中世の教会は、組織も、金も、宣伝手段ももっていた。しかし、その宇宙観は、誤りであった。
第二次世界大戦中のわが国の軍国政府も、また、強力な組織と、金と、マスコミによる宣伝手段とをにぎっていた。
しかし、国家を大きな崩壊になげこんだ。旧石器捏造事件のさいの考古学界も、また、似たような構造になっていた。
組織や、金や、マスコミ手段によって、真理が顕現するわけではない。科学的真理は、「証明」「検証」によってのみ顕現するのである。その根本のところが、考古学の世界
では、十分に認識されていないのではないか。
官、学、マスコミをあげて、異論を封じこめるような体質。
個性のはっきりした意見をもつ考古学者が、いろいろな意味で、ワリを食うようなムラ体質。翼賛体質、付和雷同体質には、大きな問題がある。
毎日新聞によるスッパ抜きのような、外部からの圧力によってのみ、わずかな改善がもたらされるような体質。
このような体質では、学問としての進歩はのぞめない。むしろ、大きな誤りを、くりかえすことになりやすい。
発堀には、組織や金が必要であろうが、それにまつわる運営は、現代では、もっとオープンでなければならない。
外部からの批判などもうけいれて、自由に討論できるよう
な体質でなければならない。
異論は、なんとか封じこめて、排除して、というような姿勢では、考古学は、やがて、世間一般の信頼を失なう。ひいては、必要な資金も、得られなくなるのではないか。
いまや、考古学の分野で類型的になっている方法や史観を正しいと思いこむのは、じつにあやうい状況になっている。
古墳発生期の年代をくりあげる議論なども、十分な検討をへたものとはいいがたい。
率直にいえば、旧石器捏造事件が、第一次の年代バブル、年代インフレーション現象であるとすれば、古墳発生期の年代がくりあかっていくのは、第二次の年代バブル、年代インフレーション現象である。
第二次の年代バブルも、確実な根拠をもっていない。客観世界が示す、もろもろの観測事実とあっていない。
ともに、年代が、あたかも、糸の切れた凧のように、上に上にと舞いあがっていっている。
わが凧は むなしき空に いさよひて
邪馬台国は 行くへ知らずも
(読む人も知らず)
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