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装飾古墳から読み解く古代人の美と文明

(季刊邪馬台国135号 巻頭言)                      編集部



季刊邪馬台国135号
 

 「前方後円墳」と聞けば、おそらく大山古墳(仁徳天皇陵)などを思い浮かべ、おおよそ共通のイメージをもつことができるだろう。
  一方、装飾古墳と聞いて、どんなビジュアルを想像するだろうか。キトラ高松塚古墳に代表されるような、壁画古墳を思い浮かべる方もいるかもしれない。あるいは、なにか原始的な幾何学模様が描かれた石室を思い浮かべる方もいるだろう。
  「装飾古墳」という言葉はよく知られているが、一方で「装飾古墳といえばコレ」という万人共通的なイメージは定着していないようにも思える。そして、なぜ古墳の石室は彩られたのか。その意味を想像したことがあるだろうか。

 装飾古墳はその出土地域が九州に偏っていることから、前方後円墳という「正当な」古墳の亜流と思われがちな感がある。しかし、果たしてそうなのだろうか。大和以外のものはすべて亜流とするのは、文化絶対主義的すぎてはないか。
「埋葬」は人を人たらしめた文化・文明の原点とも言われている。埋葬施設の巨大化や装飾は、世界各地で見られる人類共通の原理であり、そこには古代人の精神性、ひいては我々現代人の中に眠っているプリミティブな美的体験が秘められているだろう。

 音と色彩と光にあふれている現代。そんな現代の「刺激」から解き放たれ、装飾古墳の先に見える古代人の精神世界に身を浸すのもまた一興。
  各地に残る、線刻古墳や装飾古墳、壁画古墳といった、さまざまに彩られた古墳を眺めていくことによって見えてくるのは、古代人の美的体験と精神性、そして「美を追求する」ということによって育まれた文明の力強さではないだろうか。

 古代人は装飾古墳に何を見たか。装飾古墳がつくられた時代はどんな時代だったのか。装飾古墳は、現代にいきる我々にとっても、忘れていた「何か」を思い起こさせてくれるように思える。装飾古墳にはそれだけの力があるのではないだろうか。本号の特集でその片鱗に少しでもふれることができれば幸いである。

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