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祈りと祀りと政(まつりごと)

(季刊邪馬台国144号 巻頭言)                      編集部



季刊邪馬台国144号

 人類の歴史は弔いから始まったと言っても過言ではないかもしれない。宗教が体系化されるはるか以前、数万年前からお墓というものは存在してきたという。生物でも非生物でもない「死者」という概念を獲得することで、ヒトは人になったという説もある。
  埋葬という習俗は、死者となった過去の人とつながる作法であり、死後の世界という未来や、目に見えない精神世界に思いをはせるようになった証でもあるだろう。死者を弔うのは他の霊長類にはない、人類特有の習俗である。
  過去と未来、目に見えない精神世界、人知を超えた偉大なるもの(グレートサムシング)という概念の獲得こそ、人類はじめの一歩だったのかもしれない。習俗も広義的には宗教であると考えれば、人類の歴史は宗教と切り離して考えることはできないとも言えるだろう。

宗教があることで人類の文化文明は進化してきた一方、近代国家では政教分離が進められている。
  しかし、政教分離という言葉があること自体、政治と宗教は切り離しがたいということを表している。国によって政教分離の在り方はさまざまではあるが、日本における政教分離の実態は世界的に見ても特殊な状態である。それは、戦後のGHQによる徹底的な宗教色の排除に行きつくまでに、神仏分離と神道の国教化政策という宗教観の大転換を経験したことにも関係があるだろう。
  そもそも日本の宗教観は習合的であり、神道と仏教が明確に分けられたのもつい150年ほど前の話である。千年以上にわたる神仏習合の歴史からみると、つい最近のできごとだ。
  伝統的な宗教行事と思われているような葬儀や婚礼、初詣などの習俗も、明治以降の近代になって登場したものである。それほどまでに、日本における宗教観、宗教を取り巻く環境は激変してきたのである。それゆえに、古代から連綿と続いていた日本人の宗教観、生活と宗教の結びつき、政治と宗教の関係性について、理解しにくくなってしまっているのでないかとすら思う。

 宗教からはじまり発展してきた人類が、宗教と距離を置こうとしている現在。神仏分離、政教分離が進められて久しいが、現在の価値観をいったん脇において、人は宗教との関わりのなかでどう発展してきたか、宗教は人と社会、国家になにをもたらしたのかを考えるきっかけになれば幸いだ。

 江戸時代では寺請制度によって、すべての人々はいずれかの寺院の檀家になることが義務付けられており、寺院は住民の戸籍管理を任される存在であったこと。古代において、大陸から帰国した僧侶たちが先進的な土木の知識や技術をもたらし、社会インフラの整備に大きく貢献したことなど、日本における宗教が担った社会的役割の例は枚挙にいとまがない。

 国分寺・国分尼寺の建立という、大規模公共事業を全国展開するには、工事を担う技術者の養成もさることながら、それを統率する人員の配置や、建立後の維持運営体制の整備など、社会的なインフラの構築も必須であっただろう。結果として、全国的な技術の伝播が早急に進められ、建立後の地域の発展に寄与しただろうことも想像に難くない。
  一方で式内社の実態から浮かび上がってくるのは、古代豪族の足跡であり、中央と地方の関係性、氏族コミュニティのシンボルであり記録装置であるという神社の役割などといった、空白の古代史を埋める鍵のようなものたちだ。
  『延喜式』神名帳に式内社が登録されるのは10世紀初頭であるが、それよりもはるか以前に存在していた神社は多い。
  国分寺の建立が、中央から地方への進出、行政区の新設および共通の価値観の普及だとすると、式内社は、地域の勢力を中央に取り込む仕組みと言えるだろう。ゆえに式内社の実態を読み解くことで、当時の地域の情勢や、中央の権力がどのように地方の勢力を取り込んでいったのかをうかがい知ることができるかもしれない。

 本号の特集では、祭政一致の世界に踏み込み、国分寺・国分尼寺の建立、式内社の制定という二大宗教的国家プロジェクトが古代日本になにをもたらしたのかを紐解いていきたい。

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