350年。これは、日本列島にはじめて古墳が登場してから、最後の古墳がつくられるまでの期間である。およそ16万基、現代におけるコンビニの倍以上の数の古墳が350年もの長期間にわたって、全国各地で建造されていたというのだから、摩訶不思議である。
王の威信を示すため、強制労働によって築造されたのが古墳=巨大王墓というイメージがあるかもしれないが、これほど大規模な工事が強制労働だけで実現でき得るものだろうか? 大手ゼネコンの大林組が1985年に試算したところによると、日本最大の古墳・大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の築造には、796億円の総工費(1985年当時の貨幣価値)、のべ680万7千人の作業員、総工期15年8ヵ月がかかるという。
人員の動員数もさることながら、工期も長期間におよぶ。しかも同時多発的に全国で出現する古墳は、「王権の強制力」だけで説明できるような単純なものではないだろう。
ではなぜ築造されたのかと考えると、築造に値する「合理的理由」があったのだろうと思えてくる。つまり、古墳は「権力に強制されて仕方なく造った」ものではなく、「造りたくて造った」もの、言い換えれば「造ったほうが、社会的によかった」ものだと考えるほうが自然なのではないかということだ。自らの生活を削ってまで、生きるためになんの役にも立たない王墓を、みんなが造りたがるだろうか。エジプトのピラミッド建造にあたっては、工事に従事したものにはビールが配られたという話もある。つまり、ピラミッドの建造という公共事業は、民たちにとって、「食い扶持」だったわけである。
古墳時代という「謎の4世紀」が終わるとともに、日本は国際社会で活躍するような国家体制が整ってくる。古墳の築造は、たった350年間で日本に飛躍的な成長をもたらした「ギフト」であり、そこに佇む埴輪は、平和と文化文明発展の歴史を今に伝える使者なのかもしれない。