TOP>活動記録>講演会>第213回 | 一覧 | 次回 | 前回 | 戻る |
第213回
|
1.弥生時代の始まりが定説より早くなる |
5月19日、国立歴史民族博物館は、北部九州出土の土器などから採取した資料を、最新のC14年代測定法で分析した結果、水田稲作が日本に伝わり弥生時代が幕を開けたのは、定説から500年早い紀元前1000年頃と発表。
日本の稲作技術は、紀元前5世紀〜紀元前4世紀に、中国の戦国時代の混乱によって大陸や朝鮮半島から日本に渡った人たちがもたらした。 今回の分析結果 水田稲作が日本に伝わり弥生時代が幕を開けたのは定説より500年早い紀元前1000年ごろである。 殷、周の政変で日本の亡命した人々が、中国から日本に直接稲作をもたらした可能性がある。 |
2.疑問点 |
■ C14年代測定法の信頼性
C14年代測定法の信頼性については、まだ論議があり、慎重な取り扱いが必要である。 たとえば、C14年代測定法と年輪年代法とは、ともに自然科学的な年代測定法であるが、同一資料をこの二つの方法で測定しても結果が大きく食い違うことがある。この理由については、まだ十分な解明がされていない。 表1 C14年代測定法と年輪年代法の測定結果が異なる例
この例ではC14年代法の測定値のほうが200年ほど古くでているが、理由は不明である。 文献などで年代がはっきりしている資料をこれらの方法で測定し、測定結果のちがいや信頼性を評価を行う必要がある。 ■ 細石刃文化との前後関係 青森県の大平山元T遺跡の土器片をC14年代法で測定したところ、16500年前のものと判明し、従来、12000年前頃とされていた縄文時代のはじまりが、4500年も早まるという報道があった。従来の定説を覆し、縄文時代は世界最古の土器文化として脚光を浴びそうだという内容である。(1999.4.19 朝日新聞による) 従来、縄文時代の前に細石刃文化の時代があり、その年代はおよそ13000年ほど昔であるとされていた。 細石刃文化については、様々な方法で、年代や縄文時代との前後関係が明らかにされてきたのだが、C14年代法のデータによって縄文時代と細石刃文化の時代の前後関係が入れ替わるのであろうか。 細石刃文化も含めて古くなるのか、前後関係が入れ替わるのかはっきりさせる必要がある。細石刃文化についても、同じ方法で測定を行い、データを充実する必要がある。 |
3.従来の疑問点が説明できるようになることもある |
疑問点はあるが、もし、今回の測定結果が正しいとすると、これによって従来疑問とされていたことで、あらたに説明がつけられることもある。
■ 朝鮮半島の稲作との前後関係 考古学者の大部分は、稲作は朝鮮半島から来たと考えている。その理由は、
静岡大学の佐藤洋一郎助教授の述べるように、稲作は、同じような時期に、長江流域から日本と朝鮮半島に、海路で直接伝わったものがあると考えられるのではないのか。 ■ 倭人は太伯の末であるという伝承 倭人は呉の太伯の末裔であるという伝承がある。 太伯は、周の王室を離れ、長江流域に呉を建国した紀元前12世紀頃の人と言われる。 今回の測定結果と近い。太伯が稲作技術を持って日本に渡来した可能性もおぼろげながらある。 ■ 倭人伝の風俗記事が南方的である。 東京大学の民俗学者大林太良氏は述べる。 『魏志倭人伝』に描きだされた倭人の風俗は圧倒的に南方的であって、中国南部から東南アジアにかけての文化、ことに江南の古文化と密接な親縁関係をもっている。 刺青の風習や貫頭衣などは、中国南部から東南アジアの風俗である。すでに倭人伝の著者陳寿も海南島との生物・文化の類似を強調している。 ■ 語彙が南方的 日本語の語順は、北方的特徴を持つのに対し、語彙は南方の諸言語と親近感を示す。 表2 日本語とビルマ系諸言語との語頭の一致 計量言語学的な方法で、言語と言語との近さの度合いを測定すると、日本語はインドネシア語、カンボジア語、台湾の高砂族のアミ語やパイワン語、ビルマ系諸言語など南方的な諸言語と、「基礎語彙」において、確率論的に、しばしば偶然以上の一致を示す。 これに対し、朝鮮語、アイヌ語は南方的な諸言語と「基礎語彙」において偶然以上の一致を示さない。 日本語、朝鮮語、アイヌ語の三つの言語の「基礎語彙」は確率論的に、相互に偶然とはいえない関係を示しながら、このうちの日本語の「基礎語彙」だけが。南方の諸言語とも親近性をもつ。 これは、東夷伝の諸民族の中で、倭人だけが著しく江南的・東南アジア的な習俗をもって描きだされることと軌を一にする。 ■ 弥生時代前半の青銅器の鉛について 東京国立文化財研究所の馬淵久夫氏らは、青銅器に含まれる鉛同位体の分析により、各種青銅器の原材料産地などの研究をされてきた。 馬淵氏らの結論を要約すると、
これに対して、韓国国立慶尚大学招聘教授の新井宏氏は、次のように疑問を呈する。
図3 三星堆出土青銅器の鉛同位体比(金正耀ほか、1995年) 図4 雲南省の鉛鉱山の鉛同位体比(陳、馬淵、彭) また、中国産の銅の原産地は、雲南省である可能性が高い。(図4) 雲南省の会沢鉱山などの銅が、殷・周の青銅器の材料となり、それが朝鮮半島に運ばれ、さらには、弥生時代の日本に伝わったのではないか。銅は貴重な資源であったので、古い時代の銅器を鋳つぶして新しい銅器を作ることが繰り返された。こうしたなかで時代を超え場所を越えて雲南の銅材料が日本まで伝わったということであろうか。 実は昔からライン「D」にのる材料は雲南省の鉛であることは知られていたが、日本の弥生時代とは年代的に合わないと考えられていた。今回の発表どおり、弥生時代の初期が500年早まるとすれば、中国の殷周時代と年代的な隔たりが解消され、話がつながることになる。 |
TOP>活動記録>講演会>第213回 | 一覧 | 上へ | 次回 | 前回 | 戻る |