TOP>活動記録>講演会>第241回 | 一覧 | 次回 | 前回 | 戻る |
第241回 謎の四世紀 |
1.勾玉の起源 |
韓国の古墳から出てくる金の宝冠に勾玉がたくさん付いている。勾玉の起源は日本なのか韓国なのか? 勾玉にかかわる疑問について解説する。
■ 勾玉の発生地 次のような理由で、勾玉の起源は日本にあると考えられる。
■ 原材料の産地 勾玉の原材料である硬玉について、日本考古学用語辞典は以下のように記す。
硬玉(Si2O6)は蛇紋岩中に塊状で産する。緑色、白色、白色に緑色の斑点のあるものなどがあるが、緑色が愛好される。 ■ 翡翠に関係する伝承 翡翠(硬玉)産地のこの地域には大国主命と結婚した、奴奈川(ぬながわ)姫の伝承があり、姫を祀る奴奈川神社がある。大国主命は多くの女性と結婚したが、高志(こし)の奴奈川姫と結ばれたのは、翡翠入手と関係した政略結婚ではないだろうか。 また、『先代旧事本紀』では、大国主命と沼河比売との間の子が建御名方(たけみなかた)の命であるとされる。 出雲の国譲りのときに、大国主命の息子・建御名方命は、高天原軍の建御雷(たけみかづち)の命に敗れ、母の故郷に近い諏訪に逃げこんだと記される。建御名方命は諏訪神社に祀られている。 ■ 翡翠の出土状況 縄文時代の硬玉は、ほとんどは東日本(関東、東北、北海道)の遺跡から出土する。また、弥生時代になると、越と北九州地方、出雲地方、中国地方など、西日本を中心に盛んに出土する。(下図) ■ 『魏志倭人伝』の勾玉 『魏志倭人伝』に「孔青大句珠」と記された大きな勾玉の話が出てくる。これは硬玉製か ガラス製か? 平原遺跡からは青いガラス製の勾玉が発掘されている。 ガラスは青色で、翡翠は濃い緑である。昔は「青」と「緑」の両方 を指して「青」と表現したので、記された色からガラス製と硬玉製を判断するのはむずかしい。 和洋女子大学の寺村光晴氏によると、「珠」の字は、たとえば真珠のように、川や海で採れる玉を示すという。越の翡翠は元は山の中で産出するが、実際は川底や海岸で採集していたのであろう。 ということで「珠」の字を含む「孔青大句珠」は、越の海や川で採取された硬玉製と考えて良いであろう。 ■ 勾玉の製作と鉄の流通 朝鮮半島の勾玉が、越の国の翡翠を材料にして作られていることと、弥生時代の翡翠が、出雲と北九州から出土することから推定すると、弥生時代の勾玉は出雲を中継して北九州経由で朝鮮半島へ流通したと思われる。 出雲の玉造地方は、その名の示すとおり越の翡翠を勾玉に加工していたのであろう。出雲大社の真名井遺跡からりっぱな勾玉が出土している。出雲の製品かも(右図:『翡翠展 東洋の至宝』毎日新聞社)。 倭国は勾玉を朝鮮半島に輸出し、その見返りに、鉄(てってい)と、金銅製の冠である押木玉鬘(おしきのたまかづら)を輸入したのではないか。 5世紀前後に、朝鮮半島では勾玉を飾った冠が出現し、日本では鉄が多数出土するようになる。 なお、丁子頭勾玉は、のちの時代の日本でも制作されている。丁子頭勾玉は、時間経過と共に、次のような経路で伝播したと推定される。 ■ 勾玉のかたち 勾玉のユニークなかたちはなにをかたどったものであろうか。次のようにさまざまに想像されている。
三種の神器は、崇神天皇以前には宮中に置いてあったが、崇神天皇の時代にレプリカを宮中に置き、本物は下記の神社に納めた。このとき勾玉も宮殿から外に移された。
|
2.成務天皇の時代 |
しかし、記紀には、成務天皇のときに国々の境を定め国造や県主を定めたことが記されている。 この記述を『先代旧事本紀』で検証してみる。 『先代旧事本紀』の「国造本紀」に、国々の国造がどの天皇のときに定められたか詳しい記載がある。 これを整理すると、成務天皇の時代に定められた国造が圧倒的に多く、合計130国のうち62国(48%)を占める。(下表) 『先代旧事本紀』に記される国名には、「火国」や「知々夫国」のように、1文字や3文字のものが多数あり、また、「无耶志国」や「尾治国」のように藤原宮木簡と同じ古い表記が使われている。 これは、西暦713年に元明天皇が『風土記』を撰進するにあたり、群郷の名には好ましい漢字 二文字で記すように命令する以前のかたちを残すもので、『先代旧事本紀』の記述が古い記録を伝えていることを示している。(右表) 『古事記』『日本書紀』に、成務天皇が国境を定め国の長を任命したと特筆した記述と、古伝承を伝えた『先代旧事本紀』の内容は整合している。つまり、記紀や旧事本紀のこれらの記述は歴史的事実を伝えていると考えて良いのであろう。 景行天皇の時代に日本武の尊が各地に遠征し、反抗勢力を平定して大和朝廷の版図をおおいに拡大したが、直後の成務天皇の時代にこれらの新しい国土の国境と国長を定めたので、多数の国造がこの時代に任命されることになったと理解できる。
|
TOP>活動記録>講演会>第241回 | 一覧 | 上へ | 次回 | 前回 | 戻る |