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第224回 |
1.報道の内容 |
2004年5月15日の夕刊各紙に、次のような見出しで三角縁神獣鏡が中国製であるかのような記事が一斉に掲載された。
■ SPring8による泉屋博古館所有の鏡の分析結果(発表資料による) 鏡の材料に含まれる微量の銀とアンチモンの割合を分析した結果、調査対象とした泉屋博古館収蔵の青銅鏡95面は下記の4グループに分けられたという。
この結果に関する泉屋博古館のコメントが、朝日新聞に次のように掲載されている。 断定するには鏡をもっと多数分析する必要があるが、材質からは三角縁神獣鏡の一部が中国製である可能性が高まったのではないか。 (財)泉屋博古館、(財)高輝度光科学研究センターの発表資料よりなお、この図の三角縁神獣鏡のように分布データが狭い範囲に集まる現象を、安本先生は、ブレンド収縮による現象と考えている。 |
2.泉屋博古館の発表と新聞報道へのコメント |
安本先生は、泉屋博古館の発表内容には多くの問題がある、また、これを報道した新聞各紙の姿勢にも問題があると述べる。
■泉屋博古館の発表についての問題点
それにもかかわらず泉屋博古館は、SPring8という最先端の設備を持ち出して話題性を持たせながら、三角縁神獣鏡が中国で作られた、いわゆる「卑弥呼の鏡」であることをアピールしようとした。 しかし、上記問題点の各項で指摘されるように、泉屋博古館の発表はまったく説得力を持たない。 ■ 新聞報道の姿勢について 泉屋博古館の発表内容には多くの問題があるにもかかわらず、新聞各紙は見出しで「卑弥呼の鏡が中国製」であるように印象づける記事を掲載した。 とくに、朝日新聞は、三角縁神獣鏡については様々な意見があるにもかかわらず、「三角縁神獣鏡の一部が中国産である可能性が高まったのではないか」という泉屋博古館のコメントをのみを紹介する。一般の人は、三角縁神獣鏡が中国で作られたものと思ってしまう。 産経新聞は、異なる立場の学者の意見も紹介し、泉屋博古館の発表を客観的に伝える努力が見える。 新聞報道は、いかに著名な学者の見解であっても、学問的に決着していない見解の一方的な垂れ流し報道を行うべきではない。異なる意見があることを客観的にきちんと伝えるべきである。 また、学者は、この問題について学問的にきちんと議論をするべきである。自らの立場を補強し宣伝するために、不確かな情報をマスコミにどんどん流してしまう手法は、学問とは無縁の世論操作であり、学者の行うべきことではない。 ■ 考古学者のコメント 泉屋博古館の発表について、新聞紙上では考古学者のコメントがいくつか紹介されているが、記事のタイトルとは裏腹に、「今回の調査結果によって三角縁神獣鏡が中国鏡である可能性が高まった」ことを肯定する学者はいない。 金関恕・天理大名誉教授
現時点で邪馬台国『畿内説』を示唆したものか、あるいは『九州説』を否定するものなのかは断定できない。
これまでより詳細な分析数値が得られたことは貴重な成果で、鏡の復元などには有効だ。
あいかわらずご健筆の様子、頼もしくおもいます。
■ 追記 泉屋博古館の発表については、第227回の講演会でも取り上げ、このときに、韓国国立慶尚大学招聘教授の新井宏氏が、金属考古学の専門家の立場から、泉屋博古館の解析方法には重大な誤りがあり三角縁神獣鏡神獣鏡の生産地の議論にはまったく役に立たないとする論文を紹介した。ご参照下さい。 韓国国立慶尚大学招聘教授の新井宏氏の論文抜粋 >> |
3.三角縁神獣鏡について |
■ 二つの説
『魏志倭人伝』は、魏の皇帝が、倭の女王卑弥呼に「銅鏡百枚」を与えたことを記し ている。三角縁神獣鏡が卑弥呼に与えられた鏡とする主張について以下の二つの立場から議論が続いている。
以下に樋口隆康氏の論拠と、安本先生などの反論を紹介する。 ■ 神獣鏡の分布地域 樋口氏は、橿原考古学研究所編『大和の前期古墳V 黒塚古墳調査概報』のなかで次のように述べる。 三角縁神獣鏡は神獣鏡の一種である。中国で神獣鏡は後漢の後半に盛行し、画像鏡、 環状乳神獣鏡、重列神獣鏡、同向式神獣鏡などの各種があり、その影響を受けて三角縁 神獣鏡が産まれるが、……(後略) 樋口氏は、「後漢の後半に盛行し」などと、無造作に記す。このように記すと、神獣鏡 が、あたかも、中国の全土で行われたかのようにうけとれる。しかし、王仲殊氏らがのべるように、魏の領域内では、三角縁神獣鏡がもともと全く 存在していなかったばかりか、各種の神獣鏡すらも絶無に近かったのである。 そのような神獣鏡が、なぜ、日本だけから何百面も出土するのか。その理由は、これらのほとんどが日本で造られたとからと考えるべきであろう。 ■ 樋口氏が論拠とする富岡謙蔵氏の説 樋口氏は、上記の『大和の前期古墳V 黒塚古墳調査概報』のなかで、さらに次のように述べる
「(黒塚古墳からも出てくる三角縁神獣鏡に記されている銘文には)『同(銅)出徐州、刻鏤成』
『銅出徐州、彫鏤文章』『銅出徐州、師出洛陽、彫文刻鏤』の句が三例もある。(中
略)(この銘文のなかの)洛陽の『洛』は、漢代には『』の字が使われ、『洛』の字は
魏晋以後に用いられたことは、既に富岡謙蔵氏が大正年間に指摘しておられる。
樋口氏の上記見解は、戦前に京都大学の講師であった富岡謙蔵の主張を踏襲したものである。
富岡謙蔵は著書『古鏡の研究』(1920年刊)の中で次のようなことを述べた。
多くの学者が無批判に富岡・梅原(末治)説をうけうりしてきたのである。 晋代に師の文字が使用されなかった」という富岡氏の旧説は、三角縁神獣鏡を魏の鏡とする根拠の切り札のようなものであるから、これが否定されたことは、三角縁神獣鏡の銘文解釈の重要な論拠が崩れたことである。 このように明確な事実によって否定された学説を、邪馬台国近畿説の多くの学者が最近に至るまで無批判に受け売りしてきている。特に樋口隆康氏はどのような反論があろうとも先輩の学説である富岡氏の学説を持ち出す。樋口隆康氏の頭脳の構造はどうなっているのであろうか。 |
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